愛の知恵袋 91
之を養うこと春の如し

(APTF『真の家庭』210号[2016年4月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

わが子を見ているとイライラする

 あるお母さんから相談を受けました。

 「先生、とにかく一度、子供と会って話してみてくれませんか!」

 「どうなさったんですか?」

 「うちの子は、もう中学3年生にもなるのに、いまだに全く方向が決まらないんですよ。『どこの大学に行きたいの』と聞くと『わからない』と言うので、『早く考えて決めなさい』と言うと怒り出してしまうし…、何を考えているのか分かりません」

 「あまり焦りすぎないほうがいいんじゃないですか」

 「そうですか? でも、早く志望校を決めないといいところには行けませんよね。うちの子は勉強が嫌いなんでしょうか。どうしてやる気が出ないんでしょうかね?」

 「それは、まだ“志”が決まっていないからでしょうね」

 「えっ…、“ココロザシ”って、何ですか?」

 「自分が実現したい“夢”とか“目標”とかいうものですね」

 「“夢”…ですか」

 「そうです。『私はこんな人になりたい』、『こんな仕事をしたい』、『こんな分野で世の中の役に立ちたい』…というような“夢”がまだ見つかっていないのでしょう。どこの大学を受けるかよりも、何がしたいのか、その夢を見つけさせてあげることのほうが先だと思いますよ」

子供の“夢”を育んであげる

 私は紙を取り出して、『養之如春(ようしじょしゅん)』という言葉を書いて母親に渡し、その言葉の意味をゆっくりと説明しました。

 私がまだ若い頃、松下正寿先生(元・立教大学総長)から色紙を頂いたことがありました。あのとき先生が書いてくださった言葉は、『養人如春』(人を養うこと春の如し)という言葉でした。国際政治学者であり弁護士であると共に、教育者であられた先生御自身が座右の銘にしておられたようです。

 人間は生まれながらに伸びようとする意志や才能を持っているので、両親や教育者は、その意欲を引き出し個性と才能を大いに伸ばせるように、学びやすい環境と温かい愛情をもって見守ってあげるのが良い。それは、あたかも、大地に埋もれていた草木の種が、春が来て暖かくなると、本来持っている生命力によって自ら芽を出し、力強く成長してゆくのと同じである…という意味です。

 私自身もこの言葉を座右の銘にしてきましたが、学校であれ、会社であれ、団体であれ、人を指導する立場に立つ者が、常に心の奥に留めておくべき精神だと思います。

教育の根本精神…“涵養(かんよう)”とは

 私はこの言葉の出典が気になって調べてみたことがあります。すると、『養人如春』という言葉の原点は、『養之如春』という言葉にあるということが分かりました。

 『涵之如海 養之如春』という著名な言葉があったのです。

 「之(これ)を涵(ひた)すこと海の如(ごと)し、之(これ)を養うこと春の如(ごと)し」と読みます。

 原典は中国の後漢の歴史家・班固(はんこ)の編纂した「漢書(かんじょ)」巻一の「答賓戯(とうひんぎ)」です。

 「優れた見識(判断力)というものは、学問を深め、海のように広い文化的教養にたっぷりとひたることによって培われるものである。また、草花が春の暖かい日差しによって自然に芽を出し成長していくように、人が本来持っている意欲や才能をおおらかに伸ばしていけるように、温かい愛情で導いてあげよう」というような意味です。

 「之を養うこと」の「之」とは「心が赴くこと」、すなわち“志”のことです。

 春のように温かい心で見守り、海のように豊かな知識・教養を学ばせることによって、人には見識が備わり、自分にふさわしい“志”を見出していけるというのです。

 いったん“志”が定まれば、つまり、“夢”ができさえすれば、人は放っておいても、自らその実現に向けて動き出します。はっきりとした目標ができるからです。

あなたの“志”は何ですか?

 NHK大河ドラマの「花燃ゆ」をご覧になった方は思い出すかもしれませんが、吉田松陰は、村塾(そんじゅく)に若者が訪ねてくるたびに、「君の“志”は何ですか?」と問いました。この一言にグッと胸を突かれた若者たちは、真剣に学問に打ち込み、各々が人生を託すに足る“志”を見出していったのです。

 私たちも時々、子供たちに対して、「あなたの夢は、どんなこと?」と優しく聞いてあげるのが良いかもしれません。