夫婦愛を育む 90
孤独を感じる時

ナビゲーター:橘 幸世

 年に2回ほど会ってランチをする友人がいます。会えば、お互い率直に自分の事情や気持ちを話せる仲です。
 先日久しぶりに近況を交わし合うと、彼女は体調面が優れず落ち込んでいたとのこと。一人暮らしで、一番大変だった時は毎晩泣いていたそうです。「電話くれれば飛んで行ったのに~」と私は言いましたが、まだそこまで距離は近くないんですね。

 彼女のように一人暮らしではなくとも、孤独を感じている人は少なくないと思います。
 私は若い頃、東京の雑踏の真っただ中で「こんなにたくさん人がいても、誰も私のことを知らない。私がどうなっても何ら関係がない」という思いが来て、ものすごい孤独感に襲われたことが何度かありました。

 “主婦の孤独”もちまたで語られて久しいですね。家で過ごす時間が多くを占めると、何か問題があるわけではないけれど、話し相手もなく、孤立しているように感じる…。私は、体力面、仕事面から家にいる時間が多いので、そんな一人かもしれません(友人は皆働いています)。

 そんな私の心の片隅に若い時からずっと、「主に祈ることを多くしなさい。祈れば一人で生活しても絶対に寂しくない」(『御旨の道』)というみ言(文鮮明先生の教え)があります。
 と言っても、多く祈って実感しているわけではなく、本当にそんな境地になるのだろうか、と遠い所から眺めている感じです。

 先日、久しぶりに孤独感に襲われました。きっかけは、主人の思いがけない強い口調。仕事の準備で余裕がなかったのは分かりますが、やっぱり面白くありません。
 主人が出掛けた後、朝の片付けをしながら気分が沈んでいるのを自覚し、訓読の前に神様に助力を求めました。すると、最後の一節にこうありました。

 「この宇宙全体に生きている人の主人がいると考えてみてください。…生きている地上生活はもちろん、永遠の世界まですべて見つめ得る父母がいると考えてみなさいというのです」(1982.5.2)

 「いつも共にいる」という、天の父母様からのメッセージに胸が熱くなり涙しました。そして、とても元気になり、やって来た義母と楽しく会話しました。
 主人との気持ちの流れが滞ったので訪れた孤独感、その背後には先祖からの宿題もあるでしょう。天の父母様とつながって、それは消えました。そして先に挙げたみ言を思い出したのです。

 心の通じる相手がいない時(いないと思っている時)、人は孤独を感じるのかもしれません。
 ある講師が「皆さん、教会に来て疎外感を感じることはありませんか?」と問い掛けたことがありました。また、一人の婦人が「私、教会に行っても孤独よ」と話しているのが耳に入ってきたこともあります。

 本音を話せる、分かってもらえる関係がなければ、“兄弟姉妹”と場を共にしていても、孤独を感じるでしょう。夫婦関係、兄弟姉妹との関係ともに、育む努力はまだまだたくさん必要に思います。