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心のあり方 15
相手を尊ぶ心

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第四章 愛する心があれば誰でも心を開く

相手を尊ぶ心

 心を開かせる第二の秘訣は、相手を尊ぶ心で接することです。

 人は上からものを言われると心を閉ざします。自分を見下す人には心を開きません。下から尊ばれると心を開くのです。

 文鮮明先生は貴賤(きせん)の上下なく子供から年寄りまで、誰でも尊んで接したのです。

 「訪ねてくる人には、三歳の子供であろうと腰の曲がった目の遠い老人であろうと、愛の心で敬拝し、天に対するように仕えました。……人は誰でも尊いのです。人が尊いことにおいて、老若男女に差はありません」(自叙伝 97ページ)

 文鮮明先生は、どんな人でも、「愛の心で敬拝し、天に対するように仕えた」のです。アメリカでダンベリー刑務所に収監されたことがあります。もちろん無実の罪です。

 人種迫害が根底にあったのです。アメリカの牧師たちは、キリスト教の精神に反するとして、釈放運動を行いました。数千人の牧師たちが文鮮明先生を慕って韓国を訪ねたほどです。刑務所の囚人たちは、強盗などの罪を犯した心の荒れ果てた男たちです。自己中心で食器洗いや掃除などは真面目にしません。文鮮明先生は、アメリカの救いのために、精誠を込めて命懸けで活動しました。しかし、決してそれを偉ぶることをしませんでした。体を丸めて囚人たちの食器を洗い、食堂の床掃除を、真心からされたのです。

 イエス・キリストも、やがて裏切る弟子のために足を洗ってあげました。イエス様も文鮮明先生も、自分の清さと信仰を誇って、罪を犯した人たちを裁き、見下さなかったのです。だからこそ、多くの人たちがイエス様を、文鮮明先生を慕っているのです。

 もし、神様を信じている婦人が、夫や子供を信仰がないという理由で見下すなら、家族は心を閉ざしてしまうでしょう。

 私たちは自分でも知らないうちに、家族を見下している場合があるのです。妻が、「給
料が少なくて甲斐性(かいしょう)のない夫だ」と罵れば、夫を見下したことになります。夫が、「妻はかわいげがない」と嫌えば、妻を見下したことになります。母親が、「うちの子供は根性がない」と嘆けば、子供を見下したことになります。姑が、「うちの嫁は気が利かない」と腹を立てれば嫁を見下したのです。姑から見下されて心開く嫁はいません。人の心を開く秘訣は、相手を尊く思う心なのです。

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 次回は、「笑顔で頭を下げる」をお届けします。


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