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心のあり方 13
心を閉ざしていませんか

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第四章 愛する心があれば誰でも心を開く

心を閉ざしていませんか

 人は誰でも幸福を求めて生きています。では、幸福はどんなときに感じるでしょうか。それは、人間関係が円満なときです。夫婦円満、親子円満、嫁姑円満、職場の人間関係円満、それが幸せです。円満は、「丸く満つる」と書きます。人と人との間に、棘(とげ)や角がなく、すいすいと愛が流れる間柄です。壁や障害がなく思いがそのまま伝わる関係です。以心伝心です。夕方、会社帰りの足音だけで、「今日、会社でつらいことがあったな」と気づき、笑顔で「おかえりなさい。お疲れさま」と慰めてくれる妻をもった夫は幸せです。

 玄関で妻の顔を見ただけで、家事や子育てのつらさを理解してくれて抱きかかえてくれる夫を持った妻は幸せです。

 幸福とは人体に例えて言えば、血液が障害なく体内に行き渡る健康体です。愛が血液のようにスムーズに行き交うのが幸福な家族なのです。

 では、不幸とはどんな状態なのでしょうか。人体でいえば、病気です。血液がコレステロールなどの障害で流れない状態です。血管が詰まっているのです。夫婦でありながら心が通わず、親子でありながら、互いの考えが理解できず、思い違いで苦しむ関係です。

 世の中で一番理解しにくい人は誰でしょうか。それは、夫であり、妻である場合があります。あるいは、親子であり、嫁姑(しゅうとめ)でもあります。同じ家に住んでいながら、心が通わないことほどつらいことはありません。

 不幸とは、互いに心を閉ざすことです。心を閉じているのです。夫婦がお互いの心のインターホンか、錠前を、少しだけ開けて語り合っているのです。やがて何重もの鍵をかけてしまい、自分でも開けられなくなっています。

 ある夫が会社の残業で帰りが遅くなるため、妻に電話したそうです。妻が電話口に出てきました。ところが、夫が「オレオレ」と言った瞬間、電話を切られたそうです。夫はその嘆きを川柳にして応募してみました。なんと、その年の優秀賞になったそうです。審査員も同じ被害(?)に遭っていたに違いありません。その句とは、

 オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る(第 18 回第一生命サラリーマン川柳)

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【み言訓読タイム④】
*自叙伝「平和を愛する世界人」より

 私は誰とでも気持ちがすっと通じます。お婆さんが来ればお婆さんと友達になり、子供たちが来れば子供たちとふざけたりして遊びます。相手が誰であっても、愛する心で接すればすべて通じるのです。(自叙伝76ページ)

 監獄暮らしといっても特に恐ろしくはありませんでした。経験があったからでしょうか。その上また、私は監房長と親しくなるのが上手です。二言三言話をすれば、どんな監房長でもすぐに友達になってしまいます。誰とでも友達になれるし、愛する心があれば誰でも心を開くようになっています。(自叙伝101ページ)

 訪ねてくる人には、三歳の子供であろうと腰の曲がった目の遠い老人であろうと、愛の心で敬拝し、天に対するように仕えました。年取ったお爺さん、お婆さんが訪ねてきても、夜遅くまで話をしました。
 「なんだ、年を取った老人なので嫌だな」というような思いを持ったことは一度もありません。
 人は誰でも尊いのです。人が尊いことにおいて、老若男女に差はありません。(自叙伝97ページ)

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 次回は、「心を開く三つの秘訣(ひけつ)」をお届けします。


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