夫婦愛を育む 82
ルーティーンの効能

ナビゲーター:橘 幸世

 「ルーティーン」といえば思い浮かぶのは、イチロー選手や五郎丸選手といったスポーツの世界かもしれませんが、今回はわが家のルーティーンについて(恥ずかしながら)書いてみたいと思います。あって良かったな、と思うことがあったからです。

 子供たちが小学生だった頃は、わが家では夕食時に「はい、今日学校であったこと~」と親が促して、その日の出来事をそれぞれが話すようにしていました。
 やがて中学生にもなると返ってくるのは「別に」「いつもと同じ」と、思春期らしい(?)返答。それでもたまに「今日はねぇ…」と話してくれると親としては様子が分かってうれしいものでした。

 帰宅した主人や子供たちには、(私がいる時は)両手を広げてハグでお迎えします(中学生になると息子は照れからか、私が玄関に出て行くと、くるっと背中を向けて靴を脱いでいました。私は諦めじと背後からハグして「お帰り~」)。

 実家の兄夫婦は、夕食時に二人で軽く晩酌をしますが、杯をカチンと合わせて「お疲れ~」とお互いに言って飲み始めます。その姿がいいなぁと思ったので、わが家でもまねました。一緒に食べられる時は人参茶で「お疲れ~」カチンとしています。

 雨の朝は車で主人を駅まで送りますが、降りて構内に向かうタイミングでお互いに手を振るのもお決まりのパターンです。
 送らない日は、玄関での「行ってらっしゃ~い」ですが、この春ごろからそれにプラスアルファの愛情表現が加わりました(ずいぶん遅いスタートです)。

 正直たまに、マンネリ感があるかなぁと内心思ったりしましたが、先日はこの(暗黙の)「お約束事」に助けられることがありました。

 前の晩、もうきっかけも思い出せないくらいささいな事だったと思いますが、二人の間に気まずい空気が生じました。そして、その距離感を解消しないまま一日を終わりました。
 翌朝、当然のことながらまだやや緊張感が残っています。それでもお弁当をカバンに入れ出かけようという時、主人がいつものようにしてくれたことで、二人の緊張感は解消しました。内心ホッとしたのを覚えています。
 ルーティーンのありがたさを感じた一コマでした。

 これからも一つ一つのルーティーンを大切に、心を込めていきたいと思います。