東京オリンピック・パラリンピックまであと1年!

改めてオリンピックの意義を考える(前編)

(第2回 ここがポイント! ビューポイント〈プレゼンター:木下義昭〉より)

 いよいよ東京オリンピック・パラリンピックまで、あと1年となりました。
 今回は、改めて「オリンピックの意義」について考えてみようと思います。

 それでは、ここでオリンピックの歴史を振り返ってみましょう。

 古代オリンピックは、ギリシャを中心とした「ヘレニズム文化圏の宗教行事」という位置付けでした。

 ここが第1のポイントです。
 古代のオリンピックは、全能の神ゼウスをはじめ、多くの神々を崇(あが)めるための体育や芸術の競技祭だったのです。つまり、「聖なる神事」だということです。

 次にオリンピックの「聖なる休戦」についてお話ししましょう。

 記録に残っている第1回の古代オリンピック開催は、紀元前776年とされています。ここには、ギリシャ全土から競技者や観客が参加していました。

 当時のギリシャではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあった「オリンピアの祭典」には、戦争を中断してでも参加しなければなりませんでした。

 これが「聖なる休戦」です。

 武器を捨て、時には敵地を横切りながらオリンピアを目指し旅するため、当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は、最終的に3カ月に及んだといわれています。

 ここが第2のポイントです。
 オリンピックには、休戦させる力があるということです。休戦で留まらず、将来的には戦いの無い世界を生み出す力を、持ってもらいたいものです。

 やがて、古代オリンピックは終焉(しゅうえん)を迎えます。

 紀元前146年、ギリシャはローマ帝国に支配されます。
 古代オリンピックはギリシャ人以外の参加を認めていませんでしたが、ローマが支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになり、次第に変容を遂げていきました。

 さらに392年、ローマのテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定めたことで、「オリンピア信仰」を維持することが困難となりました。

 最後の古代オリンピックが開催されたのは、393年の第293回オリンピック競技大祭でした。
 戦乱を乗り越え、紀元前776年から1169年間も受け継がれた伝統は、ここに終焉の時を迎えたのです。

 そして、いよいよ近代オリンピックのはじまりです。

 古代オリンピックの火が途絶えてから約1500年後の1892年、フランスのクーベルタン男爵は、ソルボンヌ講堂で行った「ルネッサンス・オリンピック」と題する講演の中で、初めてオリンピック復興の構想を明らかにしました。

 その理想は次第に世界中の国々の賛同を得ることに成功し、1896年に第1回大会が、オリンピックの「ふるさと」であるギリシャのアテネで開催されたのです。

 クーベルタン男爵は理想追求のため、友人たちの言葉まで借りています。

 有名な「より速く、より高く、より強く」というモットーは、友人である神父のペーター・ディドンが1897年のIOC総会で語った演説です。

 「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」
 これもまた有名な言葉ですが、1908年の第4回ロンドン大会で、アメリカとイギリスの選手たちの対立を重くみた聖公会のタルボット主教が、日曜礼拝で選手たちを諭した説教の内容です。

 クーベルタン男爵は分かりやすい言葉でオリンピックへの理解を深めようとしたわけです。(後編に続く)

(U-ONE TV『ここがポイント!ビューポイント』第2回「東京オリンピック・パラリンピックまであと1年!~改めてオリンピックの意義を考える」より)

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