コラム・週刊Blessed Life 78
中国よりも米国を擁護する理由

新海 一朗(コラムニスト)

 米国が完全であるという訳ではありません。米国もいろいろと問題を抱えており、その傷も深いのかもしれません。
 それでも、中国よりははるかにましであると言わなければならない理由をいくつか述べてみたいと思います。

 米国はキリスト教国家です。米国の独立宣言は、自由・民主・権利は神から付与されているという確信によって表明されています。

 トランプが言う「自由とは政府から与えられるものではなく、神からの贈り物である」という考えに示されるように、自由・民主・信仰の三位一体思想は、「神において(in God)」「神の下で(under God)」成立するというのが米国民主主義の考えです。

 現在の米国政治がそうなっているかどうかは検討を要しますが、少なくとも、「人間の考えには限界がある」「神のお考えを聞かなければならない」という姿勢が米国の建国精神にはあるということです。

 現在、資本主義の総本山になっている米国ですが、この資本主義なるものは、マックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、カルヴィニズム(カルヴィン主義、ジャン・カルヴィンの神学思想)が強調した「禁欲」「勤勉」「節約」「契約精神」「利他精神」が資本主義の源泉となっており、意外にもキリスト教の倫理(禁欲・勤勉・節約など)が資本主義を生み出したということです。

 その視点からいえば、資本主義は単なる金儲け主義ではないということになり、資本主義の根底にはキリスト教倫理が厳然と横たわっていることになります。

 資本主義は倫理のない金儲け主義であると考えられている現実は、「堕落した資本主義(儲かるためなら何でもあり)」を見て言っているのです。精神(倫理)を忘れた物質万能資本主義、金銭至上資本主義です。

 米国の米国たるゆえんは、その圧倒的な科学技術にあると言っても言い過ぎではありません。絶えず最先端の科学技術をもって世界をリードしてきた米国です。

 聖書の創世記第128節を見ると、「よろずのものを治めよ」とあり、この言葉によって、キリスト教世界(特に米国)は、自然万物を鋭く観察し、分析し、人間のために自然界のさまざまな資源を有効活用することに専念してきました。
 そのことを通して、米国には科学技術が蓄積され、また、有能な科学者が世界から米国に渡り、科学者を優遇する米国の姿勢がますます米国を科学技術の大国へと押し上げたのです。

 以上のような観点で、米国を見ると、神は米国を簡単に捨てるわけにはいかないということであると思います。

 片や、中国には、自由・民主・権利の考えがなく、抑圧、統制、蹂躙(じゅうりん)が人民に及び、「神において」「神の下で」といった哲学ではなく、神に代わって人が絶対者(独裁者)となる傲慢不遜(ごうまんふそん)な統治哲学で、力の支配(武装警察で人民を虐げる)を断行しています。

 今のままの中国に希望はありません。