コラム・週刊Blessed Life 76
誰が救いを必要とするのか

新海 一朗(コラムニスト)

 2000年前、イエスが語った印象的な言葉が新約聖書のマタイによる福音書に記されています。

 「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」(マタイによる福音書 第912節)という言葉です。

 この言葉の意味は何でしょうか。
 健康な人には医者は要らない、医者を必要とするのは病人であるということですから、あまりにも当然のことを語っているに過ぎないと思ったら大間違いです。

 この言葉の後に続く言葉があります。「わたしがきたのは、義人(丈夫な人)を招くためではなく、罪人(病人)を招くためである」(同 13節)というのです。

 はたして、イエスは罪人(つみびと)だけを相手にして救いを与えるというのでしょうか。罪人以外の義人の救いは、「あなたは丈夫な人だから、医者である私(イエス)を必要としません」と言って、イエスは丈夫な人(義人)の救いを放棄するというのでしょうか。これは深く考えてみなければならない言葉です。

 根本的なことを言えば、堕落したアダムとエバの末裔(まつえい)である人類は、皆罪人であり、義人は一人もいません。
 イエスの時代には、取税人(税を取り立てる人)や娼婦、安息日などの律法を守れない人、ユダヤ人以外の偶像崇拝者である異邦人などが「罪人」でしたから、イエスはそういう人々に寄り添うという宣言が、「医者を必要とするのは病人である」という言葉の意味になります。

 しかし、もう少し掘り下げると、神に選ばれた者という「選民意識(義人意識、丈夫な人)」がとても強かった当時のユダヤ人たちの傲慢な考えをたしなめられた言葉が、「丈夫な人には医者はいらない」であり、その本当の意味は、そのようなユダヤ人たちの傲慢さは神の国には程遠く、むしろサタンに属する者であり、傲慢なままでは永遠の滅びにつながってしまうだろうとイエスは語っていたのです。

 現代の国際情勢はまさに「わが国は丈夫な人」で医者は要らない、「相手の国は病人」だから医者はそっちへ行ってくれと言っているようであり、結局、謙虚に神の救いを受けるのがアフリカであったり、サタンに属して永遠の滅びに落ちるのが先進国であったりする可能性があります。

 そうならないように祈りますが、政治経済を主導するトップリーダーたちがかつてのユダヤ人たちのように傲慢な考えにとりつかれて、他者や弱者への哀れみ、思いやりが欠如してしまうと、救いの恵みからこぼれ落ちてしまうかもしれません。