愛の知恵袋 73
仕事と家庭、どちらが大事?

(APTF『真の家庭』189号[2014年7月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

仕事を優先して生きてきたが…

 60代後半と思われるその女性は、感慨深げに話し始めました。

 「私は、小学校の教員をしてきました。難しい採用試験に合格した時は本当にうれしかったものです。実際に教員になってみると、思いがけない様々な苦労がありましたが、『先生、先生』といって慕われ、自分を頼ってくれる生徒や保護者の方々と接していると、自分の存在価値を感じられ、とてもやりがいを感じました。30代で夫と結婚して子供も生まれました。しかし、40代のとき、仕事のことで頭が一杯になっていて、夫とうまくいかず、とうとう、夫から『仕事をとるのか、私をとるのか』と迫られ、結局、仕事を選んで離婚してしまいました。50代のときは、それで良かったと思っていました。しかし、今、独り暮らしになってみて、果たして本当に家族より仕事を優先してきた自分の選択は正しかったのか?…と疑問に感じるようになりました」

 この方と同じように、仕事に執着するあまり婚期を逸したり、あるいは夫婦関係を損なって離婚に至ったり…という方は少なくありません。

 これは、「仕事と家庭、どちらが大事か?」という古くて新しい命題です。

人間のもつ“才能”と“愛情”という二つの側面

 私たち人間には、“才能”と“愛情”という二つの側面があります。そして、それぞれに伴う強い欲求を持っています。つまり、才能という面では、「認められたい」、「ほめられたい」という強い欲求をもち、愛情という面では、「理解されたい」「愛されたい」という強い欲求があります。

 人間の持つ精神的な欲求の中で、最も強い欲求を二つ挙げよと言われれば、それは、まさしく「愛されたい」という欲求と「ほめられたい」という欲求でしょう。

 このふたつの欲求は、生まれたばかりの赤ん坊から100歳を超えた老人に至るまで変わることはありません。

 私たちは、この「愛されたい」「ほめられたい」という二つの強い欲求が満たされたときに「幸せだ」と感じます。逆に、自分は誰からも「愛されていない」「認められていない」と感じるときには「不幸だ」と思うのです。

“仕事”と“家庭”の充実で真の幸せに

 “才能”と“愛情”という目に見えない側面が実体的に展開されるのが、“仕事”と“家庭”という場です。ここでいう仕事は“社会的使命”という言葉に置き換えてもよいでしょう。

 私たちの人生に、必ず、仕事と家庭という二つの分野がついてくるのはこのためです。そのどちらが欠けても、完全な満足感は得ることができないでしょう。

 私たちは、能力という面においては、自分の才能を発揮して、社会の中で何らかの貢献をし、感謝されたり称賛されたりするときに、大きな生きがいを感じます。

 また、愛情という面では、結婚して家族を形成し、夫婦や親子で愛し愛される交わりをもつとき、この上ない喜びと希望を感じます。

 つまり、私たちは人生の中で、“仕事”の分野と“家庭”という分野の両面で成功するとき、最高の幸福感を味わうことができるのです。従って、子供を育てる時も、将来、仕事をもって自立できるように教育するだけではなく、結婚した時に、良き夫婦、良き父母になれるような男性、女性に育てておくことが大切です。

失ってわかる、家族の大切さ

 両方とも大切であるということを踏まえたうえで、あえて、「仕事と家庭、どちらが大切か」と問われれば、私は迷うことなく、「家庭が大事」と答えるでしょう。

 私たちは生きていく限り、何らかの仕事をせざるを得ませんし、また社会的使命を果たすことは大きな生きがいにはなりますが、やはり、最後に残るものは、“家族の情愛”ではないでしょうか。

 仕事で成功して裕福になり、名誉も地位も得たが、家に戻れば家族の関係は冷え切っている…といった家庭も少なくありません。その状態で、心からの幸福を味わえるとは思えません。

 今年の3月で、東日本大震災からちょうど3年が経ちました。私も宮城県や福島県の被災地を見てまいりましたが、あの震災とその後に起きたありとあらゆる出来事の中で、私たちが最も深く教えられたことは、“人と人とのつながり”の大切さであり、そして、“家族の絆”こそが、何物にも代えがたい尊い力であるということではないでしょうか。

 私自身、10年前に母を見送り、7年前に父を見送ったとき、いかにその存在が自分にとって大きいものであったかを思い知らされました。そして、昨年末、最愛の妻を見送るに至ったとき、その心境は到底言葉では言い表すことができません。

 誰しも、年を重ねるほどに、そして、身近な家族を失うほどに、家族の大切さ、有難さを骨身にしみて感じるのではないでしょうか。