夫婦愛を育む 68
恨みを手放したら、幸せがやって来る

ナビゲーター:橘 幸世

 嫌な思いをすることは日常ままありますが、嫌な思いをさせる側に悪意がない場合が案外多いかもしれません。

 知人が、薬局でとても不快な思いをしたと憤慨していました。その日は一日怒りが収まらず、嫌な気分で過ごしたそうです。
 話を聞いてみれば、薬剤師さんはいつものルーティーン(マニュアルどおり?)で対応したのでしょうが、彼女からすれば、口にしてほしくない言葉が発せられたのです。

 無神経な(と、こちらが感じる)言葉を発したり行動を取る人に、悪気はありません。この薬剤師さんが、彼女が抱えている病という痛みに思いが及ばなかったように、他者への配慮や思いやりに欠けているだけです。心情面の想像力が不足している、と言えるかもしれません。

 そんな場面に遭遇すると、「普通、あんな言い方する?」「普通、~なら~するよね?」「普通、~ならそれくらい分かるでしょ?」などと思います。

 私たちが発する「普通」という言葉の背後には、「このくらいわきまえているだろう」「知っているだろう」「できるだろう」など、相手への期待感が前提にあります。
 その枠から外れた言動に触れると、心がざわつきます。「あの人はああいう人だから仕方がない(悪気はないんだから)」と自分をなだめたりしますが、処理しきれず残ってしまうこともありますね。
 でも、怒りが溜まっていくと、気付かないところで私たちの幸せがむしばまれていくのです。

 逆に、こちらの「普通(期待)」を超えた思いやりある行動を取る人もいます。そんな行動に触れると、驚き感動して、心が洗われ、力が湧きます。

 感動だけ心に残し、傷を忘れられたら、幸せな人生を送れるでしょうし、世の中もずっと平和になるだろうと思います。けれど残念なことに、負の経験はしぶとく記憶に残りがちですし、ある脳科学者によれば、特に女性は、負の感情の記憶の方が思い出しやすいとのこと。
 ならばこそ、恨みは自分自身の幸せをむしばみ、願い求めるものを遠ざけることを、心に留めておきましょう。

 傷ついたことを知ってほしい、謝ってほしい、償ってほしいなどの思いを手放して、相手の課題は当人に任せ、「そんなことで私の幸せを奪わせないぞ」くらいの気持ちでいましょう。恨みを手放すと、つき物が取れたように幸せな気持ちがやってきます。そして具体的にうれしいことも起こりますよ。

 そうは分かっていても、「もう恨むのやめた」と心に踏ん切りがつくまでは、いろいろな思いが行ったり来たりするでしょう。でも、ちゃんとゴールが見えていれば、やがてそういう境地に達するので、大丈夫です。