青少年事情と教育を考える 61
宗教教育を考える

ナビゲーター:中田 孝誠

 今回は、少し古い資料を引用させていただきます。

 「教育新聞」の1999年(平成11年)9月23日号に『アメリカ発 教育改革へのメッセージ−宗教教育を見直そう』という記事が掲載されています。

 記事を書いた野口桂子さん(国際比較教育の専門家)は、「日本の公立学校に宗教教育はいらないのだろうか」と問い掛け、『子どもを傷つける親、癒す親』(鈴木秀子著)に書かれたアメリカのカトリック系中学・高校の話を引用しています。

 この学校では、次のような言葉を学期の間中、毎日唱えていたそうです。
 1学期は「私は神様から命を与えられ、生かされている大切な存在です」、2学期は「私にはかけがえのない命があって、自分で自分を成長させる力があります」、3学期は「私は、人のために役立つ力を神様から頂いています」という言葉でした。

 この学校に通っていた一人の男子生徒は、父親がアルコール依存症で恵まれない家庭環境に育ち、自身も麻薬グループに巻き込まれて殺人を犯します。

 刑務所に入った彼は、学校で言葉を唱えていた場面を夢に見ます。そしてその言葉を口にするようになると、彼に対する周囲の接し方が優しくなり、いつしか彼は刑務所内作業所のリーダーになっていきます。

 講演をするようになった彼は、自分の半生はつらいことが多かったが、学校で唱えた三つの言葉が自分を救ったと語ったそうです。「言葉」が意味を持って彼に力を与えたというわけです。

 野口さんは、日本では家庭で宗教教育を受けて育つ子供が多くなく、公教育でも「神様」という言葉を使うことが難しいことを踏まえて、次のように提案しています。

 例えば、寝る前に一日を振り返って、「ありがとうございます」「ごめんなさい」「お願いします」という言葉を心の中で言うようにする。それによって、倫理観、宗教的な心性を育むというわけです。

 道徳教育が教科になる大きな要因の一つが、深刻ないじめ問題でした。しかし、本当の意味で道徳教育が成果を挙げ、子供たちが命の大切さを自覚できるようになるためには、宗教に向き合う必要があると、道徳教科化に関わった貝塚茂樹・武蔵野大学教授は語っています。

 学習指導要領の解説書にも「宗教に関する理解を深めることが、自ら人間としての生き方について考えを深めることになるという意義を十分考慮して指導に当たることが必要である」と書かれています。

 いじめ問題は今も深刻です。一般的にも死生観などに関心を持つ人は少なくありません。宗教教育を改めて考えるべき時代になっているのではないでしょうか。