愛の知恵袋 60
“子育て”は“己育(こそだ)て”

(APTF『真の家庭』170号[2012年12月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

即解決のマニュアルを求めがちな親

 小・中学校のPTAや婦人団体での講演の時、保護者と接する機会があるのですが、最近、少し気になることがあります。それは、何事にもマニュアルがないと不安になってしまうという心理ですが、子育てにも即効性のある方法を期待するという傾向を感じることです。

 先日も、ある学校のPTAの講演会でそれを感じましたので、最後にひとこと、付け加えさせていただきました。「皆様、子育てという世界においては、安心しすぎても、悲観しすぎてもいけません。どのような接し方をすれば子供が耳を傾けてくれるのか、どのようにしたら立派な人間に育つのか、自分で真剣に考えてみましょう。そして、便利なマニュアルを求める以上に、自分で考え、自分で悩んで“わが子に最良の答えを見つけ出していくという姿勢が大切だと思います」

「できの悪い子」を持った親は不幸なのか

 私たちは、子供を育てる時、「どうしてこれくらいのことができないのか」、「なぜ素直に言うことを聞いてくれないのか」と悩みます。

 また、「あの家の子は優秀なのに、どうしてうちの子はこんなにできが悪いのか。情けない…」などと、嘆きたくなることも少なくありません。

 確かに子供だけを比較すれば、そのような思いになります。

 子供が自分以上に、学力・意欲・才能などの点で優れていれば、親は子供の教育という点では悩むことはないでしょう。自慢の息子、娘であり、誇らしいことです。

 難しいお子さんを抱えた人からみれば、そういう人はまことに恵まれた人たちであり、羨ましい限りです。

 しかし、「教育」ということの“本質の本質”を知れば、全く違った世界が見えてきて、恨めしく思っていたことが、逆に、感謝に変わるかもしれません。

難しい子供を育てた両親の奥深さ

 以前、精神的障害のある子供を育ててきた、あるご両親とお話しした時、私は非常に感銘を受けました。聞いているだけで胸が切なくなるような多くの苦労をしてこられたのに、最後に、その母親の口から出たのは、「この子を授かったことを、本当に神様に感謝しています」という言葉でした。

 「もし、普通の子供だったら、私たち夫婦がここまで親密な関係になれなかったかもしれませんし、こんなに深く神様に感謝するような心境にはなれなかったでしょうから」と言われるのです。

 苦労を共にしてこられたご夫婦は、強い信頼関係で結ばれていて、お二人ともそのお人柄の中に穏やかで愛情深い人間味がにじみ出ていました。

子供の教育は、子供のためだけではない

 「子供の教育は子供のためにある」というのは当然のことですが、しかし、決して「子供のため…だけにある」のではありません。実は、「子供のため以上に、親のためにある」と言っても過言ではないのです。

 私たちは、子供が思うようになってくれないと、イライラします。また、子供の不足な点が目につくたびに、叱りつけたくなります。

 しかし、悩んだ末に辿り着くのは、「子供を育てるには、まず、自分が先に成長しなければならない」という道理です。「子供は親の言うことは聞かないが、することは真似る」という言葉があるように、子供の教育には、まず、親が先に手本を見せなければなりません。

 親が自分の生活姿勢を正し、殻を破ってより大きな器に成長できた分だけ、子供に良き手本を見せることができます。

天が子供を与えるのは、親を成長させるため

 子育てには、無限と思えるほどの愛情と忍耐、熱意と努力が要求されます。だからこそ、子供を愛し育てることによって、親である自分が成長できるのです。

 まさしく、“子育ては、己育て”なのです。

 そのように考えてみると、創造主が私たちの人生に、“子女の養育”という必須科目をプログラムされた理由がよく分かってきます。

 私たちの人格を成長、成熟、完成させるために子育てがある…そう思えば、なんだかやり甲斐を感じます。

 子育てのための迷いや悩みには、何一つ無駄なことはなく、全て意味のあることだということがわかれば、私たちは子供のために、どんなに悩み、どんなに苦労してもそれを乗り越えることで夫婦も親子も共に成長し、共に喜び合うことができるでしょう!