スマホで立ち読み Vol.43
『子女と向き合うことは神様と向き合うこと』9

蝶野知徳/著

(光言社・刊『子女と向き合うことは神様と向き合うこと~子女を育む生活信仰36のポイント』〈2023417日初版第1刷発行〉より)

 子女と向き合うことは神様と向き合うことの一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。

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第一章 神様から出発する子育て

8. 愛は信じることから始まる

 愛するということは、復帰の道においては、その中身のほとんどが「信じること」で占められています。神様と人間の本然の親子の愛の関係は、人間の責任分担不履行によって断絶し、失われましたが、これを取り戻すために復帰の責任をまず負われたのは、人間ではなく、その人間を創造された神様でした。つまり救援摂理は、神様の創造主としての責任心情から来る、涙を伴った愛で始まったのです。

 神様はご自身と疎通できない人間の姿に痛みを抱えながらも、長い歴史を耐え忍び、何度人間が不信をしても、あきらめずに投入し続けてこられました。それができたのは、神様ご自身が人間を信じ続けてこられたからです。

 ですから子女への愛も、それが創造の愛にしろ、復帰の愛にしろ、子女を「信じられない」というところから出てくることはありません。子女を信じているからこそ、その投入する心が真実だと言えるのであり、愛だと言えるのです。

 ですから、愛は不信から始まるのではなく、必ず、信じるところから始まります。しかし、蕩減(とうげん)の道というのは愛を復帰する過程でもあるので、信じられないものを信じていくという道を避けられなくなっています。それゆえに、その背後には常に涙があったのです。

 しかし、新しい時代においては、子女の中にある本性に絶対的な確信を持って投入し、愛していけば、たとえ復帰の愛を通過したとしても、必ずその先に、愛と「原理」の主体である神様と出会うようになっているのです。

 子女が父母の思うようにならなくなり、子女を信じることが難しくなるというとき、それは子女の堕落性の部分だけを見て信じようとしているのかもしれません。神様の子女であるという本性がその子女の中にあると信じて投入するとき、私たちの愛も真実なものになっていきます。

 神様は、霊肉両面で無知なる人間を、何をもって信じ続けてこられたのでしょうか。それは人間の堕落性ではなく、神様ご自身に似た本性、良心の存在だったはずです。いつか必ず、神の子として自分のもとに帰ってくるに違いないとして、人間の未来を信じ続けたのです。その神様の復帰摂理歴史の道のりを知って、私たちも、それがまさに愛であったと理解することができたのです。

 子女の本性に対する確信は、いかに難しい状況でも、父母の中で不動のものでなければなりません。それを維持できる唯一の方法は、この子女は「神様の子女である」という確信を持つことです。子女をそのように貴く扱い、育めば、そのごとくに貴くなっていくのです。それが創造です。子女を育む技術はすべて、その一点から出発するのです。

《ここが大切!》
*愛や投入は必ず、信じるところから始まる
*自分の子女が「神様の子女である」ということに確信を持つ

《分かち合おう》
 苦しいとき、難しいと感じたとき、それでも自分を信じてくれた神様を感じたことがあるだろうか。

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 次回は、「父母の愛の姿勢」をお届けします。お楽しみに!



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