スマホで立ち読み Vol.43
『子女と向き合うことは神様と向き合うこと』8

蝶野知徳/著

(光言社・刊『子女と向き合うことは神様と向き合うこと~子女を育む生活信仰36のポイント』〈2023417日初版第1刷発行〉より)

 子女と向き合うことは神様と向き合うことの一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。

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第一章 神様から出発する子育て

7. 子女が愛を持ってくる

 私たちが子女を授かるのは、愛のためです。子女は、私たちが愛するために授かったのであり、愛を体験するために与えられました。つまり、子女は父母に愛を持ってきてくれた存在なのです。

 子女の行動や性質だけに焦点を合わせて一喜一憂する前に、神様が与えてくださった子女の存在そのものの価値に対する「根源的感謝」が必要です。その心を神様に捧げながら子女を見つめていくならば、それがいかなるときも、父母の愛を支えてくれるものとなるでしょう。

 私たちは、愛という価値を通して見たときに、子女の存在の貴さを発見できるようになっています。「相手の性質に左右されない」という心情が、愛の本質です。具体的には、欠点のように見えることや、抱えている問題をも包み込んだ上で、その人を「愛(いと)おしい」と感じられる心情です。

 ある父母は、生まれた子女に障がいがあることを伝えられたとき、夫婦で絶望や悲しみを感じ、苦しみました。しかし、時がたつとともに、自分たち父母が愛の責任を持って育てる以外に道がないことを受け入れていきました。その子の未来が見えず、子女と分かち合いたかった多くの夢もあきらめなければならないと感じる中においても、一つ一つ小さな希望やささやかな喜びを持って子女に接していったといいます。

 すると、それを積み重ねていく中で、純粋な笑顔を無償で振りまく我が子に、表現できない愛おしさが湧いてきたというのです。

 障がいを持った子女を授かったとしても、それは愛し難いものを愛するということが父母のテーマとして願われているのではありません。その父母のテーマは、「その子女の存在、丸ごとを愛する喜び」を体験してしまうことにあるのです。

 「愛の体験」をしたということは、それが「喜び」になっているということです。つまり一見、不自由な状態にある子女からも、「喜びが与えられている」ということを発見したのです。これが愛の発見です。神様はこのような愛に惹(ひ)かれるお方であり、その親子の愛を永遠に忘れられないお方なのです。

 このような高度な愛の喜びの基準は、この親自身から生まれたものではありません。明らかに、子女が持ってきてくれたものなのです。この愛の立場に至れば、子女に感謝が尽きないのです。すべては、愛というものの価値に還(かえ)っていくのです。

 この愛の喜びを体験した父母は、その愛によって父母になれたということの貴さを実感し、幸福を感じるようになります。子女も、この地において神様の愛を父母に持ってきた貴い存在になることができます。そして、この子女をこの父母に担当させながら、それを抱えて見守っていらっしゃった神様も喜びに満ちるのです。

 私たちは、すべてを貴い存在として輝かせるために、愛するのです。すべての存在は、愛によってこそ真の価値に還ることができるからです。

《ここが大切!》
*子女は親に愛を持ってきてくれた貴い存在である
*愛の喜びを体験した父母も、子女も、神様も幸福を感じる

《分かち合おう》
 子供の存在が丸ごと愛おしいと感じた体験を振り返ってみよう。

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 次回は、「愛は信じることから始まる」をお届けします。お楽しみに!



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