2026.06.15 22:00

スマホで立ち読み Vol.43
『子女と向き合うことは神様と向き合うこと』5
蝶野知徳/著
『子女と向き合うことは神様と向き合うこと』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。
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第一章 神様から出発する子育て
5. 子女が感動すること
子女は、父母から直接愛されると感動します。これは大切なことですが、もっと感動が大きいのは、「父母がお互いに侍(はべ)り合う姿」を見ることです。
神様から与えていただいた相対を、神聖な存在としてお互いに価値視し、貴重に思って接し、侍り合うという関係が、本来の夫婦の在り方です。一方だけが主体的で意見が強く、常に配偶者がそれに合わせて保たれているだけのような関係の場合、たとえ、それがケンカのない夫婦だとしても、見ている子女に感動はありません。父は母に侍り、母は父に侍る、双方向の豊かな愛の関係に、子女はとても感動するのです。
父は母に敬意と愛を持って対し、母も父に敬意と愛を持って対する。お互いにいたわり合い、愛し合い、侍り合う。このような父母の姿を見るとき、子女にとってこれ以上うれしく、誇らしいことはありません。
祝福子女のアイデンティティーに関して、創造、堕落、復帰について学んでこそ教えられるものもあります。しかし、自身が神様の歴史的な悲願の中で生まれてきたという愛の背景を学ぶとき、その愛の結実が自分の生活圏でいかなる形で現れているのかが、重要なのです。本人の体験とこれら「原理」の内容が重なってこなければ、本当の意味でその価値を実感することは難しいと言えます。
両親の双方向の愛を見ることができれば、子女の心には、両親が神聖な存在として映るだけでなく、そこに中心があるということを霊的に感じるようになります。侍り合うことのできる夫婦には、必ずその夫婦が価値視する中心があるということを自然に学び取るのです。その中心こそ、神様です。子女は、神様の愛が、この夫婦の貴い愛を通して自分を誕生させたのだと理解するようになるのです。
一般の価値観ではつくることのできない、両親の侍り合う関係性の美しさに子女の本性が刺激を受ければ、自分もこのような夫婦になりたいと思うようになるでしょう。そして自然に、夫婦の関係には信仰というものが必要だと思うようになるのです。
一般の夫婦の愛とは異なる、信仰によって現れる夫婦の愛とはどのようなものでしょうか。また、それは子女の立場から見るとき、どのように映るのでしょうか。
「お父さんはお母さんを大切に思い、愛している。けれども、お父さんは神様ゆえに、さらにもっとお母さんを貴く思い、愛している。まるでお母さんを愛することが神様を愛するかのように」
信仰によって現れる夫婦の愛を見ると、子女はこのような感じ方をするようになるので、夫婦の愛には神様が絶対に必要であると思うようになります。このような姿を間近に見るとき、この両親の関係の中から生まれてきた自分を誇らしく感じることはあっても、否定したくなる子女はいないはずです。この愛による自分を肯定したい、大切にしたいと思うのです。なぜかと言えば、そこには、「私は愛でできていた」という感動があるからです。
《ここが大切!》
*子女は「父母がお互いに侍(はべ)り合う姿」を見て、感動する
*信仰による愛は、夫婦がお互いを神様ゆえにもっと貴く思うところから始まる
*子女は父母の愛の関係を見て、「私は愛でできていた」という感動を受ける
《分かち合おう》
夫から、もしくは妻から、敬意と愛を感じた出来事を振り返ってみよう。
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次回は、「愛を受け取ることのできる土台」をお届けします。お楽しみに!