コラム・週刊Blessed Life 53
日本人とユダヤ人

新海 一朗(コラムニスト)

 ヒトラーがユダヤ人を弾圧した時、ドイツと同盟を結んでいた日本はユダヤ人に対して全く違う行動を取りました。

 日本がユダヤ人を救った話です。
 リトアニア駐在領事代理であった杉原千畝は6000人のユダヤ人にビザを発給して、ナチスの手からユダヤ人の命を救いました。
 この話は非常に有名です。

 しかし、もう一つの話があるのです。1930年代末に、2万人ものユダヤ人がナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で満州国境へやって来ました。
 当時、関東軍ハルビン特務機関長であった樋口季一郎少佐が、新京(現在の吉林省長春市)にある関東軍司令部にユダヤ人の入国の許可を求めました。その時の関東軍司令部参謀長は東条英機中将でした。入国を許可しなければ、ソ連がユダヤ人2万人をドイツに送り返します。

 東条英機は「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、2万人のユダヤ人に入国の許可を与えました。ドイツ外務省は日本政府に対して、強硬な抗議を行いましたが、東条英機は「当然な人道上の配慮」であるとして、ドイツの抗議を一蹴しました。
 もし、東条英機が樋口季一郎に許可を与えなかったとすれば、2万人のユダヤ人は救われなかったでしょう。

 東条英機は東京裁判で「A級戦犯」として処刑されますが、ヒットラーと同列であるかのように扱われるのは不当であると感じてしまいます。
 迫害されているユダヤ人を救うのは「当然の人道上の配慮」であるという彼の強い姿勢は、当時、ヨーロッパを覆っていたナチス・ヒットラーの反ユダヤ主義の精神とは全く違うものです。

 『ゴールデン・ブック』には、樋口季一郎の名が掲載されています。『ゴールデン・ブック』というのは、ユダヤ民族に貢献した外国人の名前が記されているイスラエルの本です。
 当然、東条英機の名前も載せられるべきはずであったと思いますが、「A級戦犯」の処刑者を載せるわけにはいかなかったということなのでしょう。