夫婦愛を育む 51
涙の浄化作用

ナビゲーター:橘 幸世

 近年の大学入試センター試験の英語には物語文が出題されていて、感動的な内容であることが珍しくありません。それに備えての授業で、感動的な話を読む機会が多くあります。

 昨年読んだ中にも、「むっちゃ、いい話じゃないですか!」と思わず生徒が言ったものがありました。

 筆者(アメリカ人)が高速道路を運転中、車が故障してしまいます。
 見渡す限りの平原に延々と道が続く中、通り過ぎる車だけが頼りです。助けを求めるサインを掲げて必死に呼び掛けても、止まってくれる車は一向にありません。ついに諦めて、車を置いて歩くしかないと思った時、一台の車が止まります。

 手を貸してくれたのは、アメリカに出稼ぎに来ていたメキシコ人一家でした。
 父親は汗だくになりながら、持ち合わせていた道具を使い2時間ほどかけて筆者の車を修理します。

 筆者はお礼に20ドルを渡そうとしますが、彼は頑として受け取りません。それで、後部座席に座っている彼の妻にこっそりお金を渡します。

 別れ際にメキシコ人が、昼は食べたかと聞き、食べ物の包みをくれました。
 車の中で筆者がその包みを開けると、なんとそこには、渡した20ドルが入っていました! 慌てて追いかけてお礼を再度渡そうとする彼に、メキシコ人は「今日はあんた、明日は俺」と片言の英語で言って去っていきました(いつ自分も助けられる側になるか分からないから、との意味でしょう)。

 この出会いに呆然(ぼうぜん)としながら、筆者はもらった昼ご飯を口にします。
 そのおいしかったこと! そして、涙がボロボロこぼれてきました。

 ここのところ、うまくいかないことが続いて、腐っていた筆者でした。
 涙とともに、人生捨てたもんじゃない、人間捨てたもんじゃない、という感情が湧いてきて、心が浄化されたのです。

 それ以降、筆者は困った人に出会うと、進んで力になりました。どんなに自分の時間と労力を使っても、もちろん、お礼は受け取りません。

 私もかつて入院時、負の感情に襲われていた時、『レ・ミゼラブル』を読んで号泣したことがあります。
 そこに描かれた主人公の圧倒的な無私の愛に打たれたのです。その涙は、私の負の感情を洗い流し、希望と力をくれました。

 越えるべき、先祖からの愛の課題に身動きできなくなった時、神様や真の父母様の愛に包まれて、涙し、力を得ることもありますね。

 そうやって私たちは愛を学び、愛を返すことを覚えていくのかもしれません。

 あのメキシコ人、上記の出来事について尋ねられたら、たまたま通りかかったから手を貸しただけ、ときっと言うでしょう。一人のアメリカ人の生き方を変えたとは思いもよらずに。