愛の知恵袋 46
故郷を愛する「一徹おやじ」

(APTF『真の家庭』156号[10月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

講演依頼

 今年の夏、8月は短くて暑い日々でした。

 第一日曜日の7日にブライダルパーティーを企画。男性の応募者が少なくて、一人住まいの私は朝から夜まで電話をかけ続けていた最中、長野県の上田市から講演依頼のTEL。(それどころじゃない、助けてほしいよ)と思っている私の耳に、「主催は『一徹おやじ出番会』です」と交渉係。(いまどき「一徹おやじ」、なんて日本にいるのか?)と私の頭が反応して、「8月前半は忙しいので、その後お電話下さい」と中途半端な返事をしてしまいました。その日からブライダルの方は男性が毎日増えて無事終了しました。

 一息ついた日、一徹おやじ出番会から、細かい指示があり、打ち合わせ。新幹線の乗車券まで送られてきました。私が心配だったのは、体調でした。睡眠不足に疲れ、そろそろ80歳の老婆です。心配が当たって、上田駅に着いた時、迎えに来て下さった女性を含む4人の方の声が聞こえなくなっていました。数年前、イスラエルに行った時も体調が悪く機内で聴力を失いましたが、その時は看護師の女性が世話をしてくれました。

 今回もラッキーなことに、上田駅から直ぐに着いた所がお心遣いで指圧の部屋でした。とても優しい、ベテランの女性が額から首手足の先まで治療、私の音声も整いました。スタッフの方々と夕食。一徹おやじ出番会の会長さんが、「先生、真の家庭、、、、の『高校生の親の話』感動でした!」。その隣席の一徹おやじの一人も「先生、先月の小学校の話もよかったですよ……」。やっと私は分かりました。私が2か月に一回執筆しているこの月刊誌「真の家庭」の話でした。

 エッ! あの小冊子を上田市の人が読んでくださっていた! 一瞬口もきけず、一息入れて「ありがとうございます。うれしいですよ! 読んでくださっている人がいる、共感してくださっている人がいる。そして今日お呼びくださったのはそのためですね。あー、うれしい!」。私は本当に感激しました。

講演会場

 講演会場は映画館式で、ゲストは180人ということでした。一徹おやじ出番会会長の上品なご挨拶があり、私が紹介されて講演に入りました。

 日本は世界で唯一の被爆国。広島、長崎そして東京は火の海——、いつ元の日本に戻れるのか、20年はかかる、と言われましたが、20年足らずで、日本製品は素晴らしいと世界に印象づけました。自転車が自動車が薬品が……、それは無条件降伏の後、国民全員が働き続けたからです。今日来ておられる皆さんの御両親が、です。今の子供にその苦労を教えなければいけないのに、日本は男女平等だの民主主義は親も子供も同じ権利だのと父親の責任ある立場を押さえ込みました。

 今の日本には一徹おやじが必要。その夫を、無言で支えるのが妻の役目。私の話が終わって世話人会の話し合いに移りました。

故郷への熱い思い

 お一人お一人が「わが家風」の説明。「妻に一言いうと、どーんと返ってきて、あとは何も言えなくなる」と皆を笑わせる中老の紳士。障害児を持つ若いご夫婦のしんみりとした話。心打ち解けた慰労会でした。次におやじ出番会の全員が、私に教えてくださったのは、上田の町の歴史でした。

 上田は豊かな自然にめぐまれた城下町。日本の真ん中に位置し、国内外に影響を与えている。上田の英雄、真田幸村の話になると、おやじ全員が雄弁になり、天下にその名をとどろかせたのは戦い上手だっただけじゃない。豊臣に義理を立て、負けると知っても徳川の本陣に少数で斬り込んだ武士道の鏡——と。熱い言葉を吐く一徹おやじ出番会は父親中心の正常な家庭を、次々に故郷上田の町に築き上げることでしょう。

 満州生まれの私には故郷はない——、世界で初めて宇宙に飛んだソ連のガガーリンが言った。「地球は青く美しかった」と。私の故郷は間違いなく地球だ。私はふとそう思いました。上田の皆様へ、最初から最後まで本当にお世話になりました。感謝しています。楽しかったです。