続・夫婦愛を育む 29
ある老夫婦のやりとり

ナビゲーター:橘 幸世

 Blessed Lifeの人気エッセイスト、橘幸世さんによるエッセー「続・夫婦愛を育む」をお届けします

 帰省した娘を空港まで送っていった時のことです。
 保安検査を通過するにはまだ時間があったので、椅子に座って話をしていると、前の椅子に夫婦と思われる高齢の男女がやって来ました。

 手荷物を整理しようとしているのでしょうか、旦那さんとおぼしき人が、「そんなにいくつも手荷物持って乗れないよ。まとめなきゃ」「だから、そうじゃないって」「搭乗券出しとけよ」「それは自分で持てよ」と、矢継ぎ早に奥さんと思われる人に指示しています。

 一見温厚そうな顔で口調も決してきつくはないのですが、言われた側はあたふたとするばかり。

 私たちの目の前数十センチのところで展開するシーンに、こちらの会話も止まります。

 「あれじゃあ、奥さん思考停止になっちゃう」「長年ずぅっと、こうやってきたのかな」と思いました。
 すぐそばにいる私たちの存在を気にも留めないのですから、本人は普通のやりとりと思っているのかもしれません。でも、一方が支配的な立ち位置にいるのは、決して健全な関係ではありません。

 言われてただ我慢するのではなく、そんな時は、ほっぺを膨らませて、「そんなに続けて言われたら混乱しちゃう」「あなたみたいに何でも知っているわけじゃないんだから、一つずつ優しく教えて」などと返してみてください、楽になると思います、と伝えたいのはやまやまなれど、通りすがりの人、ましてや人生の先輩に言うのは、当然論外。その女性が、何かのきっかけで幸福の原則に出合ってくれることを願うしかありませんでした。

 これまで、モラハラ、DV、依存症など、いろいろな夫婦の話を直接間接に聞いてきました。新聞の相談欄などにも、家族関係の悩みが日々載っています。
 オンライン上に挙げられているエピソードを読むと、本当に今どき(望ましい関係の在り方についてこれほど情報があふれている時代に)こんな主張をする姑(しゅうとめ)や夫がいるのか、作為的な部分があるのではないか、と感じることもあります。

 あるユダヤ教ラビの言葉遊び(?)を一つ。

 二つの言葉、“marital(マリトゥル)「夫婦の」と “martial(マーシャル)「戦争の」は、"i"の位置が違うだけだ。
 “i”すなわち“I”(自分)をどこに置くかが問題なんだ。


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夫婦愛を育む魔法の法則

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