2025.10.14 17:00

シリーズ・「宗教」を読み解く 383
ユダヤ・キリスト教の歴史に見る選民の共同体➁
一体となって誕生した共同体
ナビゲーター:石丸 志信
五旬祭の日に生まれた共同体は、いまだユダヤ教の伝統の中にとどまっていた。
エルサレムの神殿に詣でて祈ることを怠らず、「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし」(使徒言行録 第2章46節、新共同訳)とは、当初は、安息日の夕べの家庭礼拝を守っていたことを示しているのだろう。それが日曜日の礼拝、聖餐(せいさん)式へと変容していったのだ。
とはいえ、彼らはこの日、ユダヤ教徒がいまだかつて経験し得なかった特別な出来事に遭遇した。
大きな物音に驚き怪しみ、集まってきた人々にペトロは立って説教し、ユダヤ教の伝統と異質のものではなく、預言者ヨエルが語った「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」(使徒言行録 第2章17節)の言葉が成就したのだと語った。
イスラエルの希望と見ていたイエスがわずか50日前に、無残にも十字架刑で殺される出来事に遭遇した弟子たちは負債感にさいなまれ、悲嘆に暮れてしまった。
3日目にもたらされた「復活」の知らを、にわかには信じられなかった。
そこに復活したイエスが現れ、彼らの無知、過ち、裏切りの全てを赦(ゆる)され、愛で抱いた。弟子たちは立ち上がり、感謝の心でその命に従うようになった。
迎えた五旬祭の日(ギリシャ語では「ペンテコステ」)。聖霊が降臨して彼らに臨み、12使徒、120門徒らに新たな生命を吹き込んだ。ユダヤ教の伝統の内から新たな次元に立つ共同体が現れた。それ故、この日が「キリスト教会」の誕生日だともいわれる。
なぜ、このようなことが起こったのか。確かに創造主なる神の御業(みわざ)である。
イエスの十字架の死がただ失敗に終わったのではなく、全き犠牲の供え物としてささげられ、天の父母なる神が全権行使してなされた御業にほかならない。
加えて、弟子たちの悔い改めと感謝、さらに心を一つにして祈ることができた故に起こされた出来事でもあった。
そして最後の晩餐の夜に聞いたイエスの遺言に忠実に従うようことになった。
イエスの遺言はこうだった。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネによる福音書 第15章9節、新共同訳)
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(同12節、新共同訳)
真の父母である文鮮明(ムン・ソンミョン総裁はこう語られた。
「120人の門徒がマルコの屋上の間に集まり、イエス様が生前『聖霊を送ってあげよう』と言われたその約束を心に信じ、一つになって祈ることがなかったら、今日キリスト教は、世界的な宗教にはなれなかったことでしょう。
そのとき身を伏して祈った120人の門徒には、恐れの心がありませんでした。自分の威信や体面、そして家庭もすべて忘れ、ひたすら主の約束がある時、ある場所に現れることを信じて120人の門徒が一つとなって祈ったとき、4千年間、天地の間で遮っていた死亡の圏を打ち破って、聖霊が地上に臨むようになったのです」(『イエス様の生涯と愛』光言社 2009年、276ページ)
新しい共同体誕生の秘密がそこにあるようだ。
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