2025.09.08 22:00
facts_3分で社会を読み解く 84
ニューヨークで行われた信教の自由に関する国際会議(4)
反統一教会運動は聖なる闘い?
ナビゲーター:魚谷 俊輔
去る8月1日から3日にかけて、米国・ニューヨーク市において、「宗教の自由に対する現代の脅威の根本原因を評価する」をテーマとする、第3回HJI平和と公共リーダーシップ会議が開催された(「HIJ」とはHJ平和・公共リーダーシップ国際大学院のことで、かつての統一神学大学院を指します)。
この会議の日本に関するセッションで筆者は、「日本における反統一教会運動」と題するプレゼンを行った。
今回もその内容の続きである。
日本における統一教会反対運動の第3の勢力は、共産党や社会党に代表される左翼勢力である。
1978年には、勝共連合の選挙キャンペーンの結果、京都で28年間続いた共産党系の府知事が落選するという「事件」が起きた。
これを受けて宮本顕治共産党委員長(当時)は、「勝共連合退治の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される聖なる闘いである」(「赤旗」1978年6月8日)というコメントを残している。
勝共運動をさらに躍進させたのは、スパイ防止法制定運動であった。
冷戦体制下の1970年代、「米ソデタント」の流れの中で、民主主義勢力と共産主義勢力の攻防は、これまでのあからさまな軍事力による対立から、スパイ工作活動が主流になっていった。しかし日本には外国からのスパイを取り締まる法律がなかったので、スパイが自由に活動できる「スパイ天国」の状態にあった。
そこで、勝共連合はスパイ防止法制定運動を積極的に支援し、1986年に全国の地方自治体の過半数でスパイ防止法制定促進決議を採択し、1986年11月に国会に法案を上程するに至った。
こうした展開に危機感を抱き、スパイ防止法制定を阻止するために結成されたのが、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)である。
全国弁連は、「レフチェンコ事件」によって危機感を募らせた左翼勢力によって組織され、スパイ防止法制定運動の支援組織である国際勝共連合と統一教会の壊滅を目的として、「霊感商法」反対キャンペーンを展開するためにつくられた組織であった。
スタニスラフ・レフチェンコは元KGB(ソ連国家保安委員会)少佐で、対日スパイ工作を行っていた。
彼は1979年に米国に亡命し、米国の下院情報特別委員会で自らのスパイ活動に関して証言した。
この証言の中で彼は、ソ連のスパイとして活動した日本人26人の実名とコードネームを公表し、その中には日本社会党の大物代議士も含まれていた。
勝共連合はこのレフチェンコ証言を大きく取り上げて、スパイ防止法の制定を訴えた。
1983年5月、社会党機関紙「社会新報」に、「レフチェンコ事件は国際勝共連合とCIA(米国の中央情報局)が仕組んだ謀略」との記事が掲載された。
これが全くの事実無根であったため、勝共連合は社会党と党機関紙編集長を訴える裁判を起こした。
この時、社会党の代理人を務めたのが山口広弁護士であり、彼は後に全国弁連を立ち上げる時の中心人物となっている。
全国弁連を構成したのは主に共産党・社会党系の弁護士たちであった。
この裁判は結局、勝共連合側の勝利的和解に終わったが、こうした闘争の延長として、「霊感商法」反対キャンペーンが左翼系弁護士によって行われるようになったのである。