facts_3分で社会を読み解く 83

ニューヨークで行われた信教の自由に関する国際会議(3
反統一教会運動を展開する第2、第3の勢力とは

ナビゲーター:魚谷 俊輔

 去る81日から3日にかけて、米国・ニューヨーク市において、「宗教の自由に対する現代の脅威の根本原因を評価する」をテーマとする、第3HJI平和と公共リーダーシップ会議が開催された(「HIJ」とはHJ平和・公共リーダーシップ国際大学院のことで、かつての統一神学大学院を指します)。

 この会議の日本に関するセッションで筆者は、「日本における反統一教会運動」と題するプレゼンを行った。
 今回もその内容の続きである。

 日本における統一教会反対運動は、大きく分けて三つの勢力から成っているが、その2の勢力は、「反対父母の会」であり、正式名称を「全国原理運動被害者父母の会」という。

 統一教会に自分の息子・娘が入信した親たちの立場からは、わが子は統一教会にだまされているか、洗脳されているとしか考えられなかったので、「子供を返せ!」と叫びながら反対運動をするようになった。
 これが「反対父母の会」が結成された背景である。

 統一教会に対する「反対父母の会」が結成されるようになった背景には、マスコミの報道がある。
 1967年77日付の朝日新聞夕刊に、「親泣かせの原理運動」の記事が掲載され、これによって不安をかき立てられた統一教会信者の親たちが、やがて「反対父母の会」につながって教育されるようになった。

 「反対父母の会」の活動内容は、①統一教会に関する悪い情報を社会に宣伝する、②統一教会信者の父母に連絡を取り、統一教会に対する否定的な情報を提供する、③「保護」(実際には監禁)して脱会させなければ子供の人生が台なしになると親を説得する、④強制改宗を行う牧師や脱会屋を紹介する、などである。

 日本における統一教会反対運動の3の勢力は、共産党や社会党に代表される左翼勢力である。
 統一教会が共産主義に反対する保守勢力であったため、彼らはイデオロギー的対立を動機として統一教会に反対してきた。彼らの台頭は、国際勝共連合の活動と切っても切れない関係にある。

 日本共産党をはじめとする左翼勢力と勝共連合は不倶戴天の敵であった。
 韓国と日本に国際勝共連合が創設されたのは1968年であり、その2年後の1970年に武道館で開催された「世界反共連盟(WACL)大会」を支援して成功に収めるなど、目覚ましい活動を展開するようになる。

 その後も街頭で「勝共理論」の講義を継続的に行い、勝共連合は共産主義との「思想戦」を展開していった。そして1972年には共産党の宮本顕治委員長(当時)に対して「公開質問状」を送付し、あるテレビ局に「日本共産党」対「国際勝共連合」の公開理論戦を提案した。

 この公開理論戦は、共産党が拒否して実現しなかった。勝共連合は単なる「右翼団体」とは異なり、共産主義理論を理路整然と批判し、代案を示すので、共産党からは手ごわい相手であると目されていた。


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