ほぼ5分で読める勝共理論 92
国家観③
政治家に国家観がなければどうなるのか

編集部編

国家観がないとポピュリズムに
 日本人は古くから共同体で助け合って生きてきました。協力して田畑を耕したり、豊作を祝ったりしてきました。あるいはものづくりに真摯(しんし)に取り組んできました。
 それで今でも、「貧富の差は良くない、福祉を充実させるべきだ」「良い国をつくっていこう」という国家観があるのです。

 こうした国家観がなければ、政治は単なる利益の調整にしかなりません。そうなれば政治はどうなるのでしょうか。

 「みんなのためになる政治」といえば聞こえはいいですが、裏を返せば、その政治家には信念がないということになるでしょう。
 その時の風に吹かれてどちらでも向く、いわゆる風見鶏のような政治家になってしまうわけです。
 この結論はポピュリズムです。

 ポピュリズムは非常に無責任です。
 例えば日本ではかつて、民主党が選挙に勝って政権を取ったことがありました。その時の公約に、子供一人に毎月26千円を支給するという「子ども手当」がありました。

 選挙に勝ったのですが、実際にはそんなお金はどこにもありませんでした。財源がなかったのです。だからこの公約は実現しませんでした。

 人気が出るようなことを適当に言って選挙に勝ったら責任は取らない。人気取りが目的なので政策に一貫性がない。
 これがポピュリズムです。

 私は「脱原発」もその一つだと思っています。
 例えば、車をゼロにするという政治家はいないでしょう。車が走れば排気ガスが出ます。しかし車をゼロにしたら社会が成り立ちません。

 同じように、原発をゼロにしたら日本の産業はつぶれてしまいます。だから今でも原発は動いているし、世界中の国が原発をつくっています。
 しかし原発は車と違って身近なものではないので、「原発ゼロ」と言うと「実現できるのではないか」という気にさせてしまう説得力があります。

 子ども手当のように、できるような気がしてしまうのです。それで原発の専門家でもエネルギー政策の専門家でもないのに、適当に「原発ゼロ」と言ってしまう政治家もいるのです。
 筆者は、脱原発はポピュリズムの一つだと思っています。

 政治家が国家観に欠けるとポピュリズムになります。信念がないので前と違うことを平気で言います。その本質は無責任であり、自己中心です。
 「みんなのために」と言いながら自分のことしか考えないようになります。そしてその政治家の故に日本が衰退します。これが政治家に国家観がないことによる弊害の一つです。

国家観がないことの最大の問題とは
 もう一つの弊害は、共産主義に負けてしまうということです。
 共産主義には明確な国家観があります。「国家は敵である」という国家観です。特に日本のマスコミはこういう価値観が強いのです。

 日本では、政治家が国家観を語ることが長い間タブー視されてきました。国家観を語ると、「軍国主義者だ」とか「戦争をしたがっている」と言われるからです。
 こんなでたらめな批判はないでしょう。

 そのような中で、安倍晋三元首相は国家観を堂々と語りました。
 もちろん左派勢力はそんな安倍元首相をとても嫌いました。しかしそういう安倍元首相を見て、「やはり政治家は国家観を語るべきだ」「安倍さんは日本の政治を変えた」と思う人もいました。筆者もその一人です。

 反対に、「安倍さんは国家観なんて語るから批判されるのだ。俺だったらもっとうまくやるのに」と、そう考えた人も多くいるのです。

 自民党はもともと保守政党です。ところが自民党の中には保守を語ることをためらう人も結構います。そんな中で、共産主義者は一貫して権力を批判します。彼らは国家観を持って堂々と批判するのです。

 ぼーっとしているとやられてしまいます。それぐらい共産主義は強いのです。なぜなら明確な国家観があるからです。つまり、「国家は敵だ」という明確な国家観があるのです。
 国家観のない人は共産主義に負けてしまいます。これが、国家観がないことの最大の問題なのです。

 今回は、国家観について3回にわたって説明しました。

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