スマホで立ち読み Vol.39
『今輝ける真の愛 蘇る神の言』15

統一思想研究院・著

(光言社・刊『今輝ける真の愛 蘇る神の言』〈2017年3月21日初版第1刷発行〉より)

 スマホで立ち読み第39弾、『今輝ける真の愛 蘇る神の言』を毎週木曜日(予定)にお届けします。

 崩壊の一途をたどる現代社会の倫理観。本書は、純潔の重要性や神の創造目的、家庭観について解き、正しい倫理観とは何かを考える一冊です。

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Ⅰ 蘇る神の言

二 堕落論

(三)生命の木と善悪を知る木の意味するもの

 『旧約聖書』に「願いがかなうときは、命の木を得たようだ」(箴言〈しんげん〉1312)とあるように、イエス以前の旧約時代の人々の願いは生命(いのち)の木に至ることでした。また『新約聖書』に「いのちの木にあずかる特権を与えられ、……自分の着物を洗う者たちは、さいわいである」(黙示録2214)とあるように、イエス以後の新約時代の人々の願いも生命の木に至ることでした。結局、生命の木とは、人類歴史を通じて、今日まで人々が共通に、目指していた目標であったのです。

 イエスは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ155)と語りました。また「わたしが命のパンである」(ヨハネ635)、「わたしは……命である」(ヨハネ146)とも語っています。そうするとイエスは生命の木であるということになります。またイエスは「後(のち)のアダム」(第一コリント1545)とも言われます。そうすると、最初のアダムも堕落しなかったら、生命の木になっていたと見ることができます。

 結局、生命の木とは、堕落しないで創造理想を完成した男性、完成したアダムを意味していたのです。すなわち、生命の木という、植物の木が生えていたのではなく、アダムが神の戒めを守って完成した姿を象徴していたのです。すなわち、神はアダムが立派に成長して完成した姿を生命の木として思い描いていたのです。

 そうするとエデンの園の中央に生命の木と共にあった善悪を知る木とは何でしょうか。言うまでもなく、それはアダムと共にいたエバの完成した姿を象徴していたのです。すなわち、善悪を知る木は創造理想を完成した女性(完成したエバ)を意味していたのです。

▲「生命の木」と「善悪知るの木」

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 「スマホで立ち読み」での連載は、今回が最終回となります。ご愛読ありがとうございました。続きは、ぜひ書籍でご覧ください。



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