2025.08.20 22:00
スマホで立ち読み Vol.38
『“人さらい”からの脱出』19
小出浩久・著
スマホで立ち読み第38弾、『“人さらい”からの脱出』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
2年間にわたる拉致監禁後、「反統一教会グループ」の一員として活動した経験のある筆者。そんな筆者が明らかにする、「脱会説得」の恐ろしい真実とは。
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第1章 15カ月間の監禁生活
四、新潟での説得、逃げ回る生活の始まり④
二度目以降に訪れた松永牧師は、今度は「『文鮮明(ムン・ソンミョン)=メシヤ』という教会の主張を両親たちに証明してみろ」と要求してきた。
松永牧師自身はその反証を行おうとの意図から、批判的情報を集めて持ってきていた。牧師は、主に共産党機関紙「赤旗」の元記者が書いた『淫教のメシア・文鮮明伝』(晩聲〈ばんせい〉社刊)などに書かれていることを根拠に、文鮮明師に対する罵詈(ばり)雑言の限りを尽くしてきた。
牧師は、まるで「文鮮明はメシヤでありえない。こんな奴がメシヤであってたまるか」と言っているかのようであった。
私はその時、ルカによる福音書6章22、23節を心に念じていた。
「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ」
私は松永牧師に「メシヤという概念自体を日本人はもともともっていない。メシヤとは何かについて、ある程度共通の認識をもたずしてこの命題を証明することは不可能だ。神を認め、人間の罪を認めて、歴史観があってそれは初めて分かることだから、まず皆で神について話し合おう」と提案した。
牧師や元信者たちは「議論から逃げている。すり替えだ」と言ったが、私は「神観が定まって、次に罪観、そしてメシヤ観が出てくる。神―罪―メシヤの順で話し合いましょう」と言い続け、松永牧師らもそれをしぶしぶ受け入れた。
“神観”については対話と交流をお互いに学び合う気持ちでできれば、本当にすばらしいはずだった。しかし、当時の私は反対する相手から神観を学ぼうとはとても思えなかった。
この元信者との話し合いの中で、私は随分と自己嫌悪に陥ることもあった。
私自身も信仰的に自分で学んだり、体験したことのないことでは「だって、アベル(いわゆる先輩)がそう言ったのだ……」と言わざるを得ない場面にたくさんぶち当たったからだ。
また、統一教会に入ってからの自らの不勉強さも嘆かざるを得なかった。すべてに批判的な家族の姿や元信者に接してみて、素直で、余り疑うことを知らない人にしか、今の自分の説明は受け入れられないものではないかと、力不足を感じざるを得なかった。
「もっと勉強しなくては、そして家族や反対者にも納得のいく説明がしたい」と焦る思いが出てきた。
そこで、私は『統一思想要綱』(*7)、『共産主義の終焉(しゅうえん)』(*8/勝共理論の解説書)、『統一神学』(*9)が読みたいと言った。すると、元信者のOさんらはすぐ次の日にそれらの本を持ってきてくれた。
余りにも早く持って来てくれたので、私は彼らの本心がこう願っているのではないかと感じた。
「早くこれらを学んで、自分たちをもう一度救いの道に至らせてほしい。救ってほしい」と。
私自身はその三冊の内容を通して、改めて統一原理の素晴らしさを悟らされた。今まで自分が学んできた宗教、哲学、思想をより深く理解し、その疑問点、未解決問題を解消してくれるものであった。これらの内容を踏まえてきちんと説明すれば、より多くの人に、特に反対している人にも納得してもらえるのではないかと感じた。ただ、いずれの本も専門的な引用文献が多いので、私一人では、これだけ反発している人達に、責任をもっては説明できないことだろうと感じた。
(続く)
*7:統一原理から導き出せる思想すなわち、文化や社会構造まで幅広い分野の問題を解決できる思想を提示。
*8:共産主義理論の批判と代案を提示し、世界の各地における共産主義の侵略から人類を守るための活動をする人の助けとなるようにまとめられた本。
*9:「統一原理」の基本的な教えと、キリスト教の主要な教派の神学思想を比較検討する。著者の金永雲氏は、スウェーデンボルグに詳しかったので、霊界に関する記述は圧巻である。
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次回は、「逃げ回る生活の始まり⑤」をお届けします。