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国家観①
国家観とは何か?

編集部編

SDGsの話と国家の話
 今回から3回に分けて、「国家観」についてお話しします。

 国家観というのは、国の在り方についての考えです。

 これは政治の世界では極めて大事な言葉ですが、抽象的で少し難しい内容でもあります。

 筆者がある講演会で国家観の話をしていた時のことです。
 参加していた大学生から次のような質問がありました。

 「自分はSDGs2015年に国連で採択された、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な開発のための国際的な開発目標)の活動をしているのだけれど、そのことについてどう思いますか」というものでした。

 それに対して筆者は次のように答えました。

 「SDGsは確かにいいことだと思います。飢餓や貧困はなくさないといけないし、教育や衛生はとても大事なものです。ただ、私の講演では国家観の話をしましたので、それとはちょっと違う話ではないでしょうか」

 その学生には何のことかよく分からなかったでしょう。

 彼は、「政治だってSDGsだってどちらも社会に関わることじゃないか。たくさんの人のためになることじゃないか。なんで別の話なのだ」と思ったのではないでしょうか。

 ここでちょっと考えてもらいたいのですが、SDGsというのは、世界中の人が人間らしく生きてほしいというものなのだということです。

 一人の人間の価値は誰でも同じです。差別されていいものではありません。アメリカのような先進国でも、アフリカのような途上国でも人間の価値は皆同じだということです。

 つまりSDGsとは、人間個人の価値(人権)を尊重する取り組みなのだと思います。

 人間である以上、一人で生まれて一人で生きていける人は誰もいません。
 人間は基本的に両親から生まれて家族の中で育ちます。温かい家庭を望まない人は誰もいないでしょう。

 ですから、個人と家族を分離した存在として考えることはできないわけです。人間を精神的存在と考えれば間違いなくそうなります。

国家と私
 さらに言うと、人間は地域社会や国家の中で生きています。

 日本では「国家」という言葉にアレルギーがある人がいます。あるいは、「国家と言われても自分は身の回りのことで精いっぱいで、正直よく分からない」という人もいるでしょう。

 しかし考えてみてください。
 例えば、マスコミは権力を批判しますが、日本で権力を批判できるのは憲法で「表現の自由」が保障されているからです。

 健康で安心して暮らせるのは国の福祉制度が充実しているからです。経済活動ができるのは国が平和で豊かだからです。

 逆に中国や北朝鮮では権力を批判すれば捕まります。

 貧しい国では多くの人が病気で亡くなってしまいます。教育も十分に受けられません。仕事もあまりありません。戦争が起きればなおさらです。

 つまり私たちは、国家のことを意識するしないにかかわらず、日本という国家の恩恵を存分に受けて生きているのだということです。

 これはとても大事なことだと私は思いますが、日本ではこういったことをほとんど強調しないのです。むしろ「国家は敵だ」という話が多いのです。

 ですから国家観について誰も教えてくれません。学校でも教えませんし、マスコミも扱いません。

 「日本はどういう国なのか」「なぜ今の日本があるのか」「どのような歴史をたどってきたのか」「どのような先人の努力があったのか」。
 そういうことを教えないし、考えもしないのです。

 本来は個人の延長に家族があって、家族の延長に地域社会や国家があります。さらにその延長に世界があるはずなのです。
 国家を飛び越えて世界があるということではないのです。

 ところが日本では、国家を飛び越えて世界の話をしたがるのです。わざと国家を無視する風潮があります。

 初めの話に戻りますが、私は講演で国家観の話をしました。それに対してSDGsは個人の価値(人権)を尊重するものであり、あるいは国家を飛び越えた世界の取り組みです。
 どちらがいいとか悪いとかではなくて、違うレベルの話だということなのです。

 今回は、国家観とは何かということについて説明しました。
 次回は政治家には国家観が重要であるということを話します。3回目は政治家に国家観がないとどうなるのかということをお話しします。

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