2025.07.19 22:00
供養を考える 2
『グラフ新天地』2005年8月号に掲載された特集記事を、編集部が再編集してお届けします。
地上人の愛の完成を願う霊界
人間は、霊人体と肉身の二重構造になっています。霊人体と肉身は、常に栄養素を授け受けしています。肉身から霊人体に与えるものを生力要素、霊人体から肉身に与えるものを生霊要素と呼びます。
例えば、電車の中でお年寄りに席を譲ると、心がうれしく感じます。これは生力要素が霊人体に送られた証拠です。肉身が善の行いをすれば、霊人体に善の影響が及ぶのです。反対に肉身が悪行をなせば、霊人体も悪化します。
また、真摯(しんし)に神様に祈ったり、信仰の道を歩んだりすると、病気が治ることがあります。これは生霊要素が肉身に良い影響を与えるからです。逆に、他人を恨んだり憎んだりすると、病気になることもあるのです。
さらに、すでに肉身を失った人々も霊人体として存在し、私たちの霊人体に働きかけ、肉身に影響を与えます。
〇霊人体と肉身は、お互いに影響し合いながら成長する。
〇肉身を失った霊人体は、肉身を持っている人の霊人体に働きかける。
供養の本質は愛の恨みからの解放
地上生活を終えて霊界に行けば、もはや霊人体を隠してくれる肉身がありません。嫌いな人を前にすれば、その思いがそのまま伝わります。霊界では、あらゆるタイプの人を愛せる人格が必要なのです。つまり、霊界とは「愛の世界」であるとも言えます。
霊人体は、あくまでも肉身を通して成長します。したがって、十分に成長できなかった霊人体は、肉身を持っている人にすがるしか術(すべ)がありません。
愛の世界である霊界において最も苦しいことは、愛と正反対の思い、つまり「恨み」を持っていることです。その恨みから解放してあげることこそ、供養の本質なのです。
愛の恨みには、「愛されなかった恨み」と「愛せなかった恨み」の二つがあります。
愛されなかった恨みは、その霊を愛することで解かれます。墓参りをすることも一つの方法です。重要なことは、具体的に愛してあげることです。
愛せなかった恨みは、その霊に代わって人を愛してあげることで解かれます。例えば、自分の親が「子供を愛せなかった」という場合、自分が子供を愛することこそ、供養になるのです。
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次回は、「愛ある生活こそが最高の供養」をお届けします。