facts_3分で社会を読み解く 76

櫻井義秀氏の真実(7)
櫻井氏、高校時代に原理研究会につながる

ナビゲーター:魚谷 俊輔

 家庭連合に対する批判的なスタンスを貫いている北海道大学の櫻井義秀教授が、実は若き日に教会に通ったことがあり、原理研究会のメンバーとも交流があったという「真実」を明らかにするシリーズの第7回である。

 前回から山形教会所属のS氏に対する私のインタビュー内容を紹介し始めた。今回はその続きである。

 S氏は小山田秀生先生の出身校でもある山形東高校を卒業しており、高校時代に櫻井氏の同級生であった。

魚谷:Sさんと櫻井氏は仲の良い友人だったのでしょうか?

S私は高校時代、最初は剣道をやっていたのですが、途中から、彼が所属していた書道部に移りました。書道部の活動は活発ではありませんでしたが、一緒に作品の出品に向けて準備したりしました。映画に一緒に行こうかなんて誘われて、行ったこともありました。そのくらい、仲の良い友人でした。

 彼も私も思想的なものに興味があったんです。だから大学入試の時、うちの学校では、文系は世界史と日本史を選択するのが一般的なのですが、彼と私は「倫理社会」を選択し、何度か図書館で一緒に勉強をしたことがありました。

魚谷:私も高校時代に倫理社会を取っていましたよ。

S私の知っている中では、倫理社会を選択したのは私たち二人だけでしたね。
 それからずっと後になりますけども、私の結婚式の時にも披露宴に櫻井君が来てくれて、友人としてスピーチしてくれました。

魚谷:そうなんですか。祝福結婚だと知っていたんですよね?

Sどうなんでしょう? その時はあまりたいしたやりとりをしなかったので、はっきりは分かりませんが…。

魚谷:櫻井氏と教会の接点はどんなふうに始まったのですか?

S私たちの高校の近くに、当時、原理研究会の拠点があったんですね。彼は最初に高校の別の友達から紹介されて、そこに行くようになったと聞いています。

魚谷:それは山形大学の原研ですか? それとも高校原研ですか?

Sたぶん大学の原研だと思います。私は原研の方にはほとんど行っていないのでよく分かりません。

魚谷:その友達という人は、いま教会員として残っているとか、残っていないとかというのは分かりますか。

Sいや、残ってないと思います。その当時、すでに通わなくなったと聞いています。

魚谷:では、その友達に誘われて、山形市内に山形大学の原理研究会の拠点があって、そこに通うようになったということですか?

S氏:はい。緑町にある古い2階建ての建物でした。

(続く)


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