2025.06.28 22:00
アングル~情報戦に勝て。161
想像力を持って家庭連合解散問題を考える
居場所がなくなるということは、共同体としての関係性や絆が希薄になることを意味する。
例えていえば、家庭という家がなくなることによって、家族の関係性に相当な影響が出てくるということである。
私たちは情報があふれる社会に身を置きながら、一方で急激に想像力を失っている。
実体的な触れ合いや実感の伴わない、頭の中の理屈だけで物事に対する判断を下してはいないか。
「同じ釜の飯を食う」ということわざがあるように、豊かな人間関係は、実体験が伴ってこそ育まれるものである。
共同体の中の一人一人もまた、時と場所を共にし、苦楽を共にするからこそ、心のよりどころとすることのできるコミュニティーを形成することができるのだ。
そしてそれは、より良い伝統と文化をつくり出すための苗床となるのである。
今回紹介するのは、世界日報(2025年6月24日、25日、26日、27日付)掲載の「信者の拠り所はどこへ~家庭連合解散問題と法人施設(1)(2)(3)(4)」。
宗教団体とは、言い換えれば、神仏を尊び、同じ人生観や死生観を共有する人々の集まりであり、共同体である。
共通の価値観の下で互いに支え合い、助け合う。冠婚葬祭を共にする関係を形成し、共同体の成長と発展を共に喜ぶ。
そのような精神と実体を長い年月をかけて持続的に育んできたのが教会施設の存在であり、教会での活動や行事といった行為である。
家庭連合は、「神の下の一つの家族(人類一家族)」「共生共栄共義主義」の理念の下、互いにために生きる共同体社会の拡大を目指して多種多様な活動を展開してきた宗教団体である。
共同体の発展と拡大の途上においてはさまざまな課題が生じることもあったが、家庭連合は社会に開かれた教会(宗教団体)を目指して努力し、そのための取り組みにも労を惜しまなかった。
それは教団の評判を上げるためではなかった。価値観の中心に「ために生きる」という教えがあったからである。
家庭連合ほど、実体とイメージがかけ離れている団体も珍しい。
「解散命令」という特殊な事情の中ではあるが、だからこそ、家庭連合という信仰共同体とその信者の皆さまにしっかりと向き合い、その声に耳を傾けるべきである。
そして、人々の人生のよりどころとなる共同体が失われるということがどういうことなのか、とりわけ、家庭連合の実際を知らずに非難し、裁こうとする人々には、しっかりと想像力を発揮し、信者の皆さまの人権とこれからの人生をイメージしてほしいと願う。
家庭連合の解散命令問題はひとごとではない。誰であっても自分の事として捉えて考え、判断していただきたい社会的問題なのである。
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(則)