2025.06.27 22:00

ザ★Q&A【人生編】2
今回は、「人生編」の第2回をお届けします。
掲載内容は、『応答話法集』を参考に、編集部が再編集したものです。
Q. 宗教を信じると不自由になる? 平和な世界はつまらない?
A. 宗教(統一原理)が示す世界は、精神文明のみの世界ではありません。物質文明が備わった世界でもあります。つまり「神の国(地上天国)」は、真の自由と創造性による刺激に満ちた世界であり、精神面も物質面も共に満たされた世界なのです。
ところが、こんなふうに考えるかたもいらっしゃいます。
「宗教の道に入ると規律とか戒律とか、あれをしてはいけない、これをしてはいけないというふうに、何か人間としての自由がなくなってしまう感じがする」
「平和な世界? いいことずくめの世界になると、人生や世の中、つまらないのではないか。人生は山あり谷あり。喜びも苦しみもあって、善と悪が共存してこそ、人生は面白いのではないか」
まず「自由」とは何でしょうか。
それは、意志と行動において束縛されない状態、意のままに振る舞えることといえます。
ところがその自由は、無条件に与えられるものかといえばそうではありません。
どんなに意のままに振る舞っても、それがわがままで自己中心的なものであれば、一時的に自由だと感じても、結局、人や社会とうまく調和できず弾き飛ばされてしまいます。
そうなると、他人のいない部屋を、あるいは野原を一人で走り回る以外にはなくなります。
世界のどんな所でも、またいついかなる時でも意のままに振る舞えなければ、それは本当の自由ではありません。
従って自由に生きるということの真の意味は、自己中心的な生き方ではなく、他の存在のために、あるいは全体のために生きる自分となって全体と個が共存し発展できるように生きるということなのです。
宗教における教えや規律は人間を束縛するためにあるのではなく、本心が喜ぶ自由と幸福をもたらすためにあります。
例えばスポーツでも、ルールもなく敵・味方もいない中でどう自由に振舞うというのでしょうか。
実は、人々の幸福のために生きられる人間、完成された人間こそが最高の自由人だといえるのです。
そのような人は、いつでも世界中のどこででも和して、自由に振る舞うけれど、絶対に真理の枠を外れないからです。
次に、「平和な世界ではつまらないのではないか?」との問いについて。
これはまず、「神の国(地上天国)」に対する誤解されたイメージがあるといえます。
神の国といっても、人間が生まれて初めから完成人間というわけではありません。人間自身が努力し、苦労して目標を達成し、さまざまな障害を乗り越えて完成していくのであって、苦しみもつらさもなくなってしまうということではありません。
成長する過程の苦しみつらさがあっても、それが悲劇で終わらない、最後には必ず喜びにつながっていくということです。
さらにもう一つ、「つまらないのではないか」という指摘ですが、そんなことはありません。
その理由は、人間には無限に啓発されていく「創造性」があるからです。
人間は常に新しい刺激がなければ飽きてしまいます。
神の国というものに対して、精神文明のみの世界と考えられがちですが、神の国は、物質文明も備わった世界でもあるのです。
今までの宗教の中には、物質欲を否定する考え方、物質文明は人間を機械化し人間性を破壊してしまうのではないか?という考え方もありました。
しかし物質的繁栄を求める欲望や、科学や物質文明そのものが悪なのではありません。
物質欲を自己中心的立場で満たそうとする人間、科学の力を万民の幸福のために用いられない人間の心の在り方が問題なのです。
神はなぜ人間に偉大な創造性を与え、無限の可能性を秘めた自然界を創造されたのでしょうか。
それは人類がどんなに新たな創造を続けても尽きることのない世界を与え、常に新しい刺激と喜びを感じる世界に住まわせようとしたからなのです。
最後に、愛と憎しみ、善と悪が共存しているからこそ、人生や世の中というのは面白いのだ、というかたに考えていただきたい話を一つ。
あなたの愛する人々が八つ裂きにされ、次々と無残な死を遂げました。その時あなたはどのように感じるのでしょうか。
「だから人生や世の中というものは面白いのだ」との声を発するのでしょうか。
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次回は、7月11日の配信を予定しております。