ザ★Q&A【人生編】3

 今回は、「人生編」の第3回をお届けします。
 掲載内容は、『応答話法集』を参考に、編集部が再編集したものです。

Q. 宗教は、個人的な心の安らぎを与えることはできても、現実的な社会問題の解決には無力なのではないでしょうか。

A. 宗教は決して無力ではありません。以下、心と体の関係から、質問にお答えします。

不幸の原因は二つある
 私たちを不幸に陥れている原因を探ってみると、まず物質的欠乏があります。
 人間が生きていくために、衣食住を欠かすことはできません。これを得るために人間は多くの苦労と努力をしてきました。また時には、争って奪い合った結果、多くの犠牲者さえ出してきました。

 現実的不幸のほとんどの原因は物質的欠乏から起こると考えて、この問題解決のために必死の努力をしている人が多くいます。
 しかし私たちを不幸にしている原因は物質的欠乏ばかりではありません。精神的な面も忘れてはならない原因の一つです。

 生きていても、何のために生きているのか目的が分からず、心が満たされないとき、私たちは不安などに襲われます。

 「人生に目的などない」とうそぶく人もいますが、中には、考えても考えても解決が得られず、悲観のあまり自殺する人さえいることを考えると、この問題も、物質的欠乏に劣らず私たちにとって深刻な問題です。

 そしてもう一つ私たちを苦しめる問題は、心が願うとおりに体が動いてくれないという悩みです。
 良いことを考え、素晴らしいことを言っても、そのごとく実行できないという心と体の矛盾性です。

これまでの解決の道
 この物質的、精神的両方の問題を解決するために、先人たちは多大な努力を積み重ねてきました。
 その代表的成果の一つは、科学技術の発達です。これによって人間の生活は非常に豊かになり、物質的欠乏の状態は100年前とは比べものにならないくらい改善されました。

 しかし豊かになればなるほど、人間は貪欲になり、多くの物を独占しようとして奔走するようになりました。
 これは、物質的満足だけでは精神的平安を得られないことの現れです。物質的充足によって精神的不満まで解決しようとする欲望と錯覚から起こる現象といえるでしょう。

 それでは、これまで精神的不安を解決する道として求められてきた宗教の現状はどうでしょうか。

 古来多くの宗教者は現世の栄耀栄華をかなぐり捨てて、山野で厳しい修行に励み、後世に多大な精神的遺産を残したことは事実です。
 しかしそれらは、かえって私たちに精神的な重荷を負わせてきた側面もあるのです。

 そればかりか、多くの宗教は精神的世界にのみ救いを求め、物質的満足を求める欲望を軽視してきました。
 結果として宗教の現状は、現実の欲望と精神の不安に悩む現代人を適切に導く力を欠いていると言わざるを得ません。

宗教の本来の目的
 では、人間の真の幸福とはどのようなものでしょうか。
 幸福とは欲望が満たされることです。そして人間の欲望には、肉体の生命を維持するために必要な衣食住を求める欲望と、それ以上に重要な、人間として存在することの価値を求めようとする欲望があります。

 すなわち人間は真美善愛などを求める欲望を持っています。
 この物質的、精神的二つの欲望は、人間にとって不可欠なものです。この二つの欲望が同時的に調和して充足されるとき、人間は幸福を感じるのです。
 例えば、真理に反する行動を取って衣食住を得た場合には、良心の呵責(かしゃく)に苦しむのです。

 人間が真美善愛を求めようとすれば、真美善愛の本体である神を求めなければなりません。そして精神的満足を求めることを中心にしながら、生命が維持されるのに必要な欲求が満たされるとき、人間は心からの満足と喜びを感じ、幸福を実感するようになっているのです。

 本来の宗教の目的は、人間が見失っている真美善愛の本体である神を私たちに知らせ、神を中心として心と体の調和を教えることです。
 そして人間の体と心を支配している罪の法則であるエゴイズム(自分の利益だけを考え、他人のことを省みないこと)を解決することによってこそ、現実的問題である物質の欠乏からくる社会問題までも解決することができるのです。

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 次回は、8月8日の配信を予定しております。