2025.06.24 12:00
スマホで立ち読み Vol.41
『天の父母様に侍る愛と喜びの生活』5
蝶野知徳/著
スマホで立ち読み第41弾、『天の父母様に侍る愛と喜びの生活』を毎週火曜日(予定)にお届けします。
天の父母様(神様)の愛を一身に受け、その愛を夫婦で、親子で分かち合いながら、喜びを持って天に侍る家庭となることを目指します!
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第1章 総論
2. 神様の愛と四大愛
——神様の愛のすべてを味わうためには家庭が必要
神様の愛は、すべての愛を内包する主体です。
一般的には、神様の愛というと、宗教人だけが信じる、縦的で見えないものを想像するかもしれません。
そこで、ビジュアル的に捉えられるように、色で例えて説明してみたいと思います。
白色光がプリズムの中を屈折して出てくると、波長の差で紫から赤までの色が現れます。光の分散です。
神様の愛がこの白色光だとして、プリズムを通して出てきた色の一つ一つがそれぞれ、子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛として、分かれて出てきたものだとします。
つまり、この例えでは、家庭で味わうこの四つの愛はすべて、人間が創(つく)ったものではなく、“神様が持つ愛の要素が分かれて出てきたものを、人間が親子・夫婦・兄弟姉妹の関係で体験するようになっている”ということを表しています。
このように見ると、親のいない神様の中にも子女の愛の要素があることが不思議ですが、その愛の要素を神様が持っていらっしゃるので、人間がその一部を、親を慕う愛で体験しているということになります。
一人の人間が単独で、神様の愛のすべてを味わうことはできません。瞑想(めいそう)によって個人が縦的に感得できる神様の愛もありますが、それは神様の愛の“全体験”ではありません。
愛の完成者とは、神様の愛を中心として、親を愛する、兄弟姉妹を愛する、夫や妻を愛する、子女を愛する、その喜びを円滑に満喫できる人をいいます。ですから、人間には家庭が絶対に必要なのです。その設計、構想から人間が、「私」自身が創造されたことを理解しましょう。
「宗教の最高の目的は、真なる家庭建設にある」(『御旨の道』496ページ)というみ言(ことば)があります。家庭の完成は神様の夢であり、その愛を満喫することが私たちの真の解放となります。当然、そのプロセスにおいても本性の喜びが私を支配するでしょう。その家庭的愛の拡大が地域、国、世界に対する愛になります。
私たちのアイデンティティーは、真の愛の“家庭人”であるともいえます。一般社会では個人を単位とした評価や証(あか)しが多いと思いますが、私たちは家庭的愛の背景を持った“家庭人”として、家族の愛、神様の愛、真の父母様の愛を証す人になっていきたいと思うのです。
一方で、一般の家庭にも、愛や信頼の絆を表す感動的な美談はあります。そういう話を聞くと、「祝福結婚ではなく一般の結婚でも良かったのではないか?」と考えてしまう人もいるかもしれません。ここは明確にしておきたい部分です。
良心が刺激を受けるのは、そこに原理的な要素があるからですが、大切なことは、祝福家庭は血統に対する讒訴(ざんそ)のない、神様と血統的に連結された親子の立場に立っているという点です。その上でこそ、神様の愛を根にした愛を築くことが可能になります。神様の心情の体恤(たいじゅつ)や愛の完成は、血統的な讒訴のない、神様の心情の種が相続された祝福家庭のみが可能だからです。
家庭の幸せを築くために、神様の愛が必要な理由は、愛自体が神様から始まっているからです。愛の起源が神様だからです。愛の定義は神様の動機、構想から定められるものです。
しかし、堕落によって人間は神様を無視し、自分なりの愛を主張して謳(うた)うようになってしまいました。そこに戻ってしまってはいけません。
祝福家庭は、真の愛を復帰して、真の愛の世界を創るために誕生した家庭です。それを忘れないようにしましょう。
一見して、祝福家庭が目指す愛と、一般の家庭の愛とは同じ愛に映るかもしれませんが、先ほどと同様に、その違いを色で分かりやすく例えてみます。
印刷物やプリンターのトナーの構成にもなっている、CMY(シアン、マゼンタ、イエロー)は色材の三原色で、構成によってあらゆる色を表現できます。それぞれの単色は美しく見えますが、理想的な反射特性を持った正確な原色では、混ぜ合わせると「黒」になります(一般の家庭用プリンターでは正確な黒が出ないため、独立した黒のカートリッジが別途備えられています)。
例えば、Cを子女の愛、Mを夫婦の愛、Yを父母の愛に置き換えてみましょう。この三つの愛が混ぜ合わされて「黒」になるというのは、どういうことでしょうか。
それぞれの単色はいくら美しく見えても、神様の愛(白)には到達できないということを象徴しているかのようです。
一方、RGB(レッド、グリーン、ブルー)という、光の三原色を見てみましょう。これを混ぜ合わせると、「白」になります。
それぞれを子女の愛(R)、夫婦の愛(G)、父母の愛(B)に例えてみると、まるで理想世界での家庭における愛の体験が混ぜ合わせられ、神様の愛の「白い光」に至るということを示しているようです。
愛の始まりは神様であるということが、堕落によって本当に分からなくなりました。愛の主人は自分ではなく、神様であることを忘れないようにしましょう。
ですから、「この一般の世の中にも美しい夫婦の愛がある!」といって、自分が受けた祝福の価値を横に置いてしまわないようにしてください。一般にも学ぶべきものがあるとしても、原理に立脚してそれを分別しながら、より原理を証すものとして整理することが望まれます。
私たち祝福家庭は、神様の血統を相続し、神様の愛から四大愛を体験できる家庭を出発しているという希望を持ってください。難しいことがあっても、乗り越えれば、必ず本然の世界に還(かえ)っていくことができるのです。
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次回は、「信仰によって真の愛の軸に還る」をお届けします。