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内村鑑三と咸錫憲 28
キリスト教は特別な使命を持った宗教

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 このシリーズのスピンオフとして、咸錫憲と文鮮明総裁という、二人の思想的巨人の共通点を探るシリーズの5回目である。

 今回は儒教や仏教をはじめとする諸宗教と、キリスト教との関係および評価に対する咸錫憲と文総裁の捉え方を比較したい。

 咸錫憲はもともとクリスチャンであったが、52歳の時に「大宣言」という詩を発表し、キリスト教だけが唯一の宗教であるという立場を超越して、あらゆる宗教を一つに考える「宗教の世界主義」に到達した。

 従って咸錫憲は、他宗教の価値を認めない排他的なクリスチャンではなかったが、キリスト教を特別な使命を持った宗教であると捉えていた。

 仏教が韓国に入ってきたのは三国時代であったが、咸錫憲は「仏教はこの時代のための精神的準備としてはいって来た」のであり、「民族統一の土台となった」(『意味から見た韓国歴史』、128129ページ)ことを認めている。

 仏教が新羅時代に「花郎道(화랑도/ファランド)」という固有思想を韓国に生み出したことを認めつつも、咸錫憲はそれがやがて「中国模倣」という弊害をもたらしたことを批判している。

 しかし仏教がやがて儒教に取って代わられ、科挙の制度が取り入れられると、韓国は官制、教育、宗教をはじめ全ての面で中国を模倣するようになった。
 これが李氏朝鮮の時代になると、儒教は完全に支配階級だけのものになり、政治の道具となってしまった。

 咸錫憲は釈迦や孔子の説いた仏教や儒教そのものを否定しているのではない。それが韓国に入り、国家権力を支える道具に堕落してしまった時に、本来の生命力を失ってしまったと言っているのである。

 これらの伝統宗教が腐ってしまった18世紀になって、キリスト教が韓国に伝来することになる。
 キリスト教は韓国でも多くの迫害を受けたが、殉教者の屍(しかばね)を乗り越えて発展していった。
 咸錫憲はこのキリスト教こそが「時代が要求する民衆の新しい宗教」(同、283ページ)であると言っている。

 『原理講論』もまた、神は堕落人間を導くために時代や文化圏にふさわしい宗教を立てながら人類歴史を導いてきたと説いている。

 歴史上に現れた数多くの宗教は、その時代と地域にふさわしい表現方法で真理の一部を解き明かしたものであったが、それらはやがてキリスト教を中心とする一つの世界的な文化圏に収斂(しゅうれん)されていくという。
 それはキリスト教が、復帰摂理の目的を完成する中心的な宗教であるからだ。

 『原理講論』は、キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去の歴史上に現れた全ての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命を持って現れた宗教であるとしている。

 このように、諸宗教の中にあってキリスト教が特別な使命を持った宗教であると捉えている点で、咸錫憲と文鮮明総裁の思想は一致している。