2025.06.18 22:00
スマホで立ち読み Vol.38
『“人さらい”からの脱出』10
小出浩久・著
スマホで立ち読み第38弾、『“人さらい”からの脱出』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
2年間にわたる拉致監禁後、「反統一教会グループ」の一員として活動した経験のある筆者。そんな筆者が明らかにする、「脱会説得」の恐ろしい真実とは。
今回は、前回の続きからお届けします。
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第1章 15カ月間の監禁生活
三、東京のマンションでの説得②
監禁の実行者である家族、親戚の人たちに「私は医者で、多くの患者を受け持っているから、行かないと大変なことになる」と、何回も必死に良識に訴えようと頼んでみた。
しかし、「両親が悲しんでいるのでそちらの解決が先だ」「誰か代わりの医者がいるだろう」「私たちだって会社を休んでまで来ているんだ」などと弁解を繰り返し、誰も取り合ってはくれなかった。
おかしな宗教を信じて活動しているというレッテルで、私を見ているようだった。私が日頃、医師として、責任をもって働いている現実世界の姿は無視されてしまった。(あとで聞いたところでは、親戚の中でも「医者をしている浩久君を監禁なんかしていいのか」と言っていた人がいたそうである)。
監禁されて何よりもつらかったのは、同じ病院で勤務している信仰の友、兄弟姉妹ともいえる看護師さんたちが、“泣き悲しんでいる”ということだった。悲痛な想いが伝わってきて心が痛かった。
私は毎晩祈りながら、彼女たちの記憶から自分の存在を消してほしいと願った。そして、“泣くな、泣くな、泣くな。忘れろ。私のことなんか忘れてしまえ”と心の内で叫んでいた。
監禁されたのだが、〈ひきさかれる〉ことがもっとつらいことを味わった。
監禁を逃れ、自由の身になっている今、私は、監禁されていた日々のことを彼女たちに聞くと、彼女たちだけではなく、多くの兄弟姉妹が私のために悲しみ、“信仰を失わないように”と祈っていてくれたことを知った。
監禁されて数日後、勤務先の病院に私が担当していた患者の治療方針だけでも伝えたいという願いを、やっと家族は聞き入れた。
特に、気になっていたのは、やはり末期癌(がん)の患者さんや、重症糖尿病の患者さん、そして、その家族のことだった。80代で胸水までたまってきた悪性腫瘍の患者さんは、連日呼吸苦を訴えていた。そして、日々、衰えていく体に対して大きな不安を抱いていた。胸腔(きょうこう)ヘドレーンを挿入し、抗癌(こうがん)剤の注入を行い、そして、その患者さんにどのように病気について伝えようかと、死というものへの心の準備を家族と共に始めた矢先だった。また、40代の男性で、糖尿病で失明、顕著な起立性低血圧のため、ほとんど寝たきり状態の患者さんのことも心配だった。急に坐位(ざい)になると、失神してしまうこともあった。食事をする以外は一日中、ラジオを聞いているという生活だった。母一人、子一人で、いったん退院し家庭生活を始めたものの食後の悪心嘔吐(おうと)に、下痢が重なり、症状が悪化し再入院となっていた。どのように今後の人生を有意義に過ごしてもらえるか? そのお母さんと共に考え始めたばかりだった。
そのため、私が医師としてその患者の状況を把握していたので、誰かに申し送らなければと、心が痛み、夜も眠れなくなった。
他の多くの外来患者さんのことも、もちろん、心配だった。糖尿病の患者さんが多く、その一人一人の生活や人生にまで、アドバイスしていた。食生活、運動を含めた家庭生活のあり方が、糖尿病のコントロールに最も重要なことと、私は考えていた。私が突然いなくなったということが、糖尿病を悪化させることは、目に見えていた。中には、思春期の女性で、血糖を計りながらインスリン注射を行っている方もいた。糖尿病のコントロールが良くなるまで、妊娠しないようにしている女性もいた。彼女たちの不安を思うとやりきれなかった。
それらの患者さんたちに対する申し訳ないという思いを込めて、カセットテープに、治療方針などを録音して、送らせてもらうことになった。
ところが、いざそれを送る段になって「やはりダメだ」と止められてしまった。宮村氏が「そのテープがどんなふうに統一教会に利用されるか分からない」と言ったからだと、両親から説明を受けた。
その時は「裏切られた。なぜこんなに言うことをコロコロ変えるのだろう」と奇妙にも思った。
その後も、両親に約束を破られたり、言うことが突然変わったりすることがしばしば起こった。
両親は「別にお前が外に出なくても読みたい本や資料は何でも探してきてやる」といっていたが、実際手元に届いたのは依頼した本のうちの4分の1に過ぎなかった。
それもそのほとんどは牧師や宮村氏の手元に既にあり、説得に都合のよいものばかりが届けられた。
また監禁直後は「お父さん、お母さんは2年でも、3年でも付き合う覚悟がある。だからゆっくりやったらいいんだ」と言っていたが、1週間くらいしても私が黙々と聖書を読んでいると、今度は「真面目な態度が見られない。時間稼ぎばかりしている。早く『霊感商法』について納得のいく説明をしろ!」と全く逆のことを言うようになった。しまいには、「いついつまでに説明するように」などと期限を切るまでになった。
「何か普段の両親や弟とは違う。どうしてだろう?」と日増しにその疑問はふくらんでいった。後でわかったのは、父が毎日宮村氏に電話して「指導」を受ける体制になっていたのだった。
宮村氏本人も監禁後1週間くらい、連日のように来た。
ある時は福岡県弁護士会の平田広志弁護士を連れてきた。そして、「私が監禁されている環境は合法的なものである」と、私と私の家族に納得させようとした。
平田弁護士は部屋のドアの取っ手にチェーンが巻き付けられ、窓は開かないように固定、外も見えないように目張りされ、外に逃げられないように見張りの人までつけられているという、明らかに監禁されている私の状況を見ても、「こういう状況が違法であるとは認められていない」などと、家族に説明していた。
「これが違法じゃない? 弁護士までグルか……」
何とも言えない、虚しさを感じた。
宮村氏が連れてきたこの平田弁護士は全国霊感商法弁護士連絡会に所属している。この時は私に名刺を見せ、平田広志と名乗った。
後でこの弁護士連絡会所属の紀藤正樹弁護士と会話する中で、平田弁護士は「宮村氏に誘われて、ついていった」と弁明していたことが分かった。この連絡会所属の弁護士仲間では、このような憲法違反の人権無視も容認され、半ば公然と行われているのだということを知った。その紀藤弁護士が国(消費者庁)の霊感商法等対策検討会の委員なのだから、国の人選がいかにいい加減かが分かる。人権侵害に加担していると言っても言い過ぎではないだろう。
(続く)
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次回は、「東京のマンションでの説得③」をお届けします。