2025.06.09 22:00
facts_3分で社会を読み解く 71
櫻井義秀氏の真実(4)
北海道大学入学直後に札幌教会につながる
ナビゲーター:魚谷 俊輔
家庭連合に対する批判的なスタンスを貫いている北海道大学の櫻井義秀教授が、実は若き日に教会に通ったことがあり、原理研究会のメンバーとも交流があったという「真実」を明らかにするシリーズの第4回である。
前回まで2回にわたって、千葉之夫氏の証言を紹介したが、彼の話から浮かび上がってくる櫻井氏の像は、神、啓示、絶対善というような考え方を否定する、かなり懐疑的な人物である。しかし彼が初めからそうだったのかどうかは疑問である。
実はこの千葉氏を通して、当時の櫻井氏ともっと身近に接していた人物を紹介してもらった。上﨑秀幸氏である。彼は1961年生まれで、1980年に北海道大学の理Ⅱ系に入学している。
以下、電話でインタビューした彼の証言である。
「私は1980年4月に北海道大学に入学しました。入学してすぐに札幌の統一教会につながるようになったのですが、ほぼ同時期に櫻井君もつながるようになったので、半年くらいは一緒に教会に通っていました。
私自身はこの年のゴールデンウイークに3日間の統一原理の修練会に参加したのですが、櫻井君もおそらく同じくらいの時期に2日修か3日修に参加していると思います。
その頃の札幌教会の学生部の雰囲気は、信仰者のコミュニティーというよりは、楽しく一緒にハイキングに行ったりする若者の集いといった感じで、そうした雰囲気の中で櫻井君も教会に通っていました。
その当時の私はあまり信仰もなく、懐疑的なことを言ったりしていたので、櫻井君とは馬が合っていろいろな話をしました。
彼から信仰的な発言は聞いたことがなく、雰囲気と楽しさに惹(ひ)かれて来ていただけだったように思います。
やがてAさんが櫻井君のケアをするようになり、それがきっかけで櫻井君は原理研究会の方にも顔を出すようになりました。
しかしやがて彼は教会に来なくなりました。彼が札幌教会につながっていたのは半年くらいであったと思います」
上﨑氏へのインタビューの後、彼から一枚の写真が送られてきた。古いアルバムの中から探し出してきたらしい。
その写真は1980年6月に札幌統一教会の学生部で支笏湖にサイクリングに行った時に撮ったもので、左側の男性が上﨑氏で、その隣でタオルをハチマキのように巻き、眼鏡をかけた男性が櫻井氏である。
ついに若き日の櫻井氏と統一教会の関係に関する、核心的な情報に到達することができた。
櫻井氏は1980年に札幌で統一教会に導かれて、半年程度の期間、教会の学生部や原理研究会に出入りしていたのである。その期間に統一原理をひととおり聞いていたであろうことは想像に難くない。
しかし彼はそれを受け入れることなく、半年ほどで教会を去ることとなった。
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