2025.06.04 22:00
スマホで立ち読み Vol.38
『“人さらい”からの脱出』8
小出浩久・著
スマホで立ち読み第38弾、『“人さらい”からの脱出』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
2年間にわたる拉致監禁後、「反統一教会グループ」の一員として活動した経験のある筆者。そんな筆者が明らかにする、「脱会説得」の恐ろしい真実とは。
今回は、前回の続きからお届けします。
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第1章 15カ月間の監禁生活
二、拉致・監禁
家族が用意周到に拉致・監禁の計画を進めているとは夢にも思わなかった私は、拉致される当日まで、いつものように東京・豊島区の総合病院「一心病院」で、内科医として勤務していた。
1992年6月13日、私は母に呼び出されて埼玉県蕨(わらび)市の実家に帰った。
夜8時ころだった。
しばらくすると、親戚20人近くが入ってきた。突然のことに、度肝を抜かれた。
私は奥の部屋に座らせられ、皆がまわりを取り囲んだ。その全員が、私のほうを険しい顔つきでじっと見据えている。
父が私に言った。
「浩久。統一教会という犯罪組織に加わって活動することは、親、兄弟はじめ親戚として絶対に許せない。その件に関して皆で話し合うため集まってもらった。心おきなく周りに邪魔されずに話し合う場所を別に用意してある。そこでじっくり話し合おう」と。
私は「病院の職員と約束があるのでその場所に行く前に電話させてほしい」と言ったが、なぜか皆、口をそろえて「絶対ダメだ」と言った。
私はやっとその場の雰囲気の異常さに気づき、話し合いには応じたくないと言い、その場から出ていこうとした。
その途端、親戚のうちの男性たちが私に飛びかかり、家から担ぎ出し、外に停めてあったワゴン車に押し込んだ。これが教会信者に対する拉致・監禁と気づき、外に出された際、大声で「助けてくれ! 殺される」と叫びながら、逃げようと必死の抵抗を試みたが、多勢に無勢、脱出は無理だった。
車の中では、私の両脇に座った父と弟とが腕をしっかりつかんでいた。自動車が都内を走っていることだけは分かった。私は泣きながら聖歌を歌い続けた。
同じ所を幾度も幾度も回ったあげく、やっとあるマンションの前で停まった。入り口には見知らぬ若い男女十数人が待ち構えていた。車から降ろされた私は、この男女に取り囲まれ、逃げ出す暇もなく、再び親戚らの手によって、そのマンションの一室まで担ぎ込まれてしまった。
部屋の中は何の変哲もないマンションの一室で一見普通のようすだったが、親戚の人がドアをチェーンのようなもので固定し始めたのを見て、「監禁された!」ことにようやく気がついた。
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次回は、「東京のマンションでの説得①」をお届けします。