2025.06.03 12:00
スマホで立ち読み Vol.41
『天の父母様に侍る愛と喜びの生活』2
蝶野知徳/著
スマホで立ち読み第41弾、『天の父母様に侍る愛と喜びの生活』を毎週火曜日(予定)にお届けします。
天の父母様(神様)の愛を一身に受け、その愛を夫婦で、親子で分かち合いながら、喜びを持って天に侍る家庭となることを目指します!
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第1章 総論
1. 信仰と喜び
——信仰が喜びになり、生活と一つになることを目指す
総論では、本書の概観を紹介しながら、学びの導入としていきます。ここで扱う主なテーマは、①信仰、②夫婦、③子女の三つです。これを基にして、祝福家庭の信仰を基盤とした夫婦一体化や、子女教育の内容について共有していきたいと思います。
◆テーマ①:信仰
——正しいことと、うれしいことが一致したときに実体の成長がある
私たちは、信仰を基盤とした家庭を築いていくことが願われていますが、「信仰」で問われていることに自分を“合わせてばかり”いると、苦しさを感じることがないでしょうか。
いくら正しいことであっても、“義務感で行っている”、“喜びがない”という状態は、一種の束縛状態であるともいえます。形だけの信仰は、“行為自体を条件にしよう”という方向に傾くので、内面は育ちにくくなります。
一方、「守らなければならない」ことが「喜び」になるのであれば、それは解放状態です。徳目と「私」が一つになっていますから、実体としての成長があるでしょう。
神様(天の父母様)を愛したいという心が行為に現れているとき、喜びがあります。しかし、愛という要素を抜いてしまえば、家庭における「子育て」さえも、ただの「労働」になってしまうかもしれません。
一般にも、女性(妻)ばかりに「育児」を押しつけるのは不平等だという意見がありますが、それが「育児という労働」を夫婦が押しつけ合う中で、それを平等に「負担」すべきだという発想から来るものであれば、とても寂しい話です。
信仰も同じです。愛という概念、要素を抜いてしまえば、すべての礼典儀式が「労働」となりかねません。神聖な行為には、厳粛な中にも深い感謝や喜びが伴うべきものだからです。
祈祷、訓読、礼拝、十一条などを、私たちは「守る」と言いますが、その中身は「愛する」ことです。「愛する行為」が「守っている」ことになっているのが良いのです。
すなわち、その行為は神様との関係を守りたいという愛の表現、宣言なのです。神様に所有されることであり、神様と一つになることです。結果として、私が創(つく)られていくことになります。
神様が「しなさい」とおっしゃることは、人間にとって必ず「福」となることです。
重要な点は、正しいことと、うれしいことが分かれたままにならないことです。成長の過程においては誰にでもあり得ることですが、実体化とはそれらが一つになった状態のことを言います。
そのためには、守ることに目的を置くのでなく、守りながらも行為の価値に対する自身の心の中にある喜びを発見することです。そのためにみ言(ことば)の学びがあります。
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次回は、「信仰と喜び② 夫婦」をお届けします。