2025.05.23 17:00
心情開拓
心霊を育てる生活原則(209)
原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。
李耀翰・著
24 真を求めよ
(1994年10月23日 札幌教会)
真は悲しみをもって求める
ですから、どのように本性の価値を求めていくかというと、悲しみでもって求めていくのです。真は悲しみをもって求めていくのです。悲しみなくして真を求められないようになっているのです。歴史は、神様の悲しみの歴史です。神様は、悲しみながら人間を愛しておられる方です。悲しみを隠して愛される方です。ですから、私たちも、どれほど悲しみをもった自分であるかということが重要です。悲しみなくして苦痛を乗り越えることはできません。み言(ことば)を悟ってみると、自分という存在をみな、困った自分だ、申し訳ない自分だと考えます。
結局、堕落性の根本というのは自分勝手ということです。自分を肯定して暮らしたがるのです。自分を否定しにくいので、何とかして自分を肯定しようとして、み言を自分なりに解釈して暮らそうとします。なかなか素直な立場に立とうとしません。純潔な自分になりたいのですが、この「我」というものが、なかなか清算しにくいのです。どこで清算できるかというと、悲しみを求めることによってできるのです。そこから真の本性を得るのです。
ですから、お父様の祈祷文には、「お父様の悲しみの歴史の友となるように許諾してください。歴史的苦痛と共に、苦痛を受ける心情の友となるように許諾してください」とあります。これは随分昔の祈祷です。1958年の祈祷です。この祈祷を聞きながら、私はそれが何の話か分からなかったのです。私は直接この祈祷を聞きましたが、それが何の祈祷か、その当時は分かりませんでした。悲しみの心情の友となり、同伴者としてくださいという願いが、いつもお父様の祈祷であったのですが、それがなかなか分かりませんでした。
後輩たちは、お父様の前ではみな緊張していますが、お父様が笑わせると、緊張していたことを完全に忘れたように、みなぱーっと笑いますが、それはあまりにも無責任です。笑う時は、「緊張」の言葉を一瞬に捨てて笑ってしまうのです。皆さんの、み言を聞く時の緊張した姿勢は間違いないのですが、笑う時は、そういう内容を隠して、抑えて笑っているのでしょうか。悲しみを抑えた人でしょうか。緊張を蓄えた人でしょうか。それを私は、いつも後輩たちに注意しているのです。笑う時、顔で笑うのはいいのですが、自分の胸と腹まで笑わせると、緊張と責任がなくなります。よく笑う人は、無責任な人です。
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次回は、「涙で連結」をお届けします。