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ほぼ5分で読める統一運動 51
南北の平和統一への道を開いた文鮮明師夫妻

稲森 一郎

 韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁は、自身の自叙伝の中でこのように述べています。

 「韓半島の統一は、政治交渉や経済交流だけでは実現しません。神様の真の愛によってのみ、統一が成し遂げられるのです。多くの峠を越えて実現した金日成(キム・イルソン)主席との会談により、南北統一に向けた新たな一ページが刻まれました。

 私たちが8日間の旅程を終えて平壌を発(た)つと、すぐに北朝鮮・政務院の延亨黙(ヨン・ヒョンムク)総理が代表団を率いてソウルを訪れ、『韓半島非核化共同宣言』に調印しました。

 私たち夫婦は、共産主義の絶頂期に、命を懸けてモスクワに行き、平壌にも行きました。私たちを激しく迫害してきた怨讐(おんしゅう)を、喜んで抱きかかえたのです。そうして彼らの心を動かして和解をもたらし、統一と平和の礎を築いてきたのです」(『人類の涙をぬぐう平和の母』、232233ページ)

 「朝鮮半島非核化共同宣言」が、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との間でなされた朝鮮半島の核兵器に関する共同宣言として、19911231日に採択され、1992120日に署名、219日に発効しました。

 冷戦の終結に伴い、1991918日には韓国と北朝鮮が同時に国際連合に加盟するなど、南北関係の変化が期待された時期でありましたが、この共同宣言で、朝鮮半島の非核化を謳(うた)ったのです。

 共同宣言の主な内容を見てみましょう。

*南北両国は、核兵器の実験、製造・生産、配備、所有、使用を行わない。

*南北両国は、平和利用のみに核技術を利用する。

*南北両国は、核再処理施設及びウラン濃縮施設を保有しない。

*南北両国は、非核化の検証のため、合同核管理員会を設置し、双方の合意の下、査察を行う。

 となっています。

 残念ながら、その後の経緯を見ると、相互査察は実施されないまま、北朝鮮の核兵器開発は継続され、現在に至っています。

 南北両国の問題が半島だけの問題ではなく、アメリカ、ロシア、日本、中国の周辺大国の政治的、軍事的思惑と力学が働いている限り、簡単にはいかないことを思い知らされます。

 そして、19911213日に署名し、1992219日発効の「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」において、四大項目(第1章 南北和解、第2章 南北不可侵、第3章 南北交流・協力、第4章 修正および発効)にわたり、合計25カ条の条文に及ぶ「和解・不可侵・交流協力」を謳い上げた合意書を発効しました。

 南と北は、分断された祖国の平和的統一を念願する民族の意に従い、「74南北共同声明で明らかにされた祖国統一3大原則を再確認すること」「政治軍事的対決状態を解消して、民族的和解を達成すること」「武力による侵略と衝突を防ぎ、緊張緩和と平和を保障すること」「多角的な交流・協力を実現して、民族共同の利益と繁栄を図ること」「双方の関係が、国と国との関係ではない統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊関係であることを認め、平和統一を成就するための共同の努力を傾注することを誓うこと」などの内容を合意事項として、南北間の交流・協力を最終的な「平和統一」を指向する共通の努力事項にするとしました。

 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子夫妻の訪朝は、南北両国の平和統一へ大きく寄与したのです。