ほぼ5分で読める勝共理論 77
スパイ防止法⑤
レフチェンコ事件

編集部編

200人の日本人エージェント
 今回は、レフチェンコ事件について解説します。
 「レフチェンコ」というのは旧ソ連のスパイの名前です。

 レフチェンコは1975年にソ連の週刊誌の記者として日本にやって来たのですが、実際にはソ連のスパイ機関であるKGB(ソ連国家保安委員会)の東京の責任者としてやって来ました。

 どうして事件の内容が分かったのかというと、レフチェンコが身の危険を感じてアメリカに亡命したからです。
 レフチェンコがアメリカの議会で工作活動の内容を詳しく証言し、その内容が日本にも伝えられて明らかになったのです。

 ソ連(当時)では、レフチェンコの証言は全てうそであると言っています。それどころか、レフチェンコが不在のまま裁判が行われて、死刑判決が下されました。

 レフチェンコのミッションは、日本の政界や財界、マスコミ関係者と接触して、日本の世論や政策がソ連に友好的なものになるように仕向けるというものでした。

 こういう工作活動は、今なおロシアや中国、北朝鮮のスパイによって熱心に行われています。そして日本人の中でスパイの協力者になった人のことを「エージェント」といいます。

 レフチェンコ証言によると、レフチェンコが関係を持った日本人エージェントは200人もいて、そのうち9人の名前とコードネームが明かされました。

 その中には、元社会党委員長の勝間田清一氏(コードネーム:ギャバー)、社会党の国会議員である伊藤茂氏(コードネーム:グレース)、上田卓三氏(コードネーム:ウラノフ)などがいました。
 本人たちは「事実無根」だと主張しました。

 それで国際勝共連合が「レフチェンコ証言」の取材をして、レフチェンコが証言の中で「社会党の政治綱領を効果的にコントロールできていた」と発言した内容を報道しました。

 すると社会党がこれに怒って、「レフチェンコ事件は、国際勝共連合とアメリカのCIA(中央情報局)が仕組んだ政治謀略事件だ」と言ったのです。

 それで勝共連合は、「これは名誉毀損(きそん)だ」といって訴えました。もちろん、勝共連合が勝訴しました。

「日本はスパイ天国である」
 話を元に戻すと、その9人は当時の国会議員とマスコミの幹部でした。その中には、産経新聞や読売新聞の幹部もいました。

 1976年に中国の周恩来首相が死亡しました。その直後に、産経新聞が周恩来の遺言とされる文書を発表しました。
 本当はそんなものはなかったのですが、レフチェンコの指示で捏造(ねつぞう)した文書を掲載したのです。

 その文書は、外務省職員のエージェントである「ナザール(コードネーム)」と「レンゴー(同)」が広めたものでした。
 そしてそれを、公安関係者である「シュバイク(同)」がマスコミ関係者である「アレス(同)」に送ったのです。

 そして最終的に、ある種の情報筋からの情報であるといって、産経新聞に掲載されたのです。

 ある時、読売新聞グループの渡邉恒雄氏が首相官邸に呼ばれました。
 その時に、当時の中曽根首相から、レフチェンコ証言に登場する200人全員のコードネームに実名が付いた書類を見せられました。その中に読売新聞の社員の名前がありました。

 中曽根首相は「ソ連のスパイの協力者だから解雇すべきだ」と言ったそうです。
 渡邉氏は、政府に言われて解雇したら問題になるので、時間をおいてから異動させたと言っています。

 レフチェンコは証言の中で、「日本にはスパイ防止法がないので、警察はほとんど何もできない」と言いました。
 たとえスパイやエージェントが誰かを突き止めても、何もできなかったというのです。

 まさに「日本はスパイ天国である」ということをはっきりと示してくれる証言だったといえるでしょう。

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