共産主義の新しいカタチ 63

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

「構造主義」に道拓く「記号学」を創始
フェルディナン・ド・ソシュール(上)➁

▲フェルディナン・ド・ソシュール(ウィキペディアより)

コトバこそが人間の現実を作り出す
 ソシュールの思想とはいったい、どのようなものなのでしょうか。ここでは、内田樹・難波江和英共著『現代思想のパフォーマンス』(光文社)の記述がわかりやすくコンパクトにまとめているので、こちらを参照してみます。

 ソシュールは、19世紀から20世紀にかけて、すべての思想のもとになる言えることによって、言語と人間の関係について現代ならではのヴィジョンを開いた…ソシュール以前の言語学では、どうしても、コトバは人間が現実を理解するための道具と見なされやすくなる。そこでソシュールは、コトバの見方をコペルニクス的に転回して、この考え方をひっくり返してしまった。つまり、このコトバは人間が現実を理解するための道具ではなく、コトバこそが人間の現実をつくっていると考えたのである。…もう少し説明してみよう。私たちは自由にものを見ているようでいて、実は本人が思っているほど自由にものを見ているわけではない。その一つの理由は、私たちのものの見え方(現実)が、自分の頭に刷り込まれた日本語(語彙・文法・修辞)によって、かなりコントロールされているからである。

 例えば、何を見ても「メッチャかわいい」としか表現できない若者には、その表現のかたちが自分の感情のかたちそのものに見えてしまう。そこにあるものが「メッチャかわいい」と感じられたのは、それが「メッチャかわいい」からではなく、それを「メッチャかわいい」と表現したからではないか。その意味で、コトバはその人のものの見え方(現実)に輪郭を与えて、それをコントロールしているといえる。
 このようにソシュールは、私たちが「現実」と思っているものが、実は私たちの言語の働きからつくり出されたものであることをとの関係を問い直す。

 同書はさらにソシュールの思想の特徴を次の4点にまとめています。

①「コトバはモノの名前である」という伝統的言語観(言語名称目録観)を否定したこと

②従来の言語学における歴史的な方法(通時言語学)に対し、同時代の言語現象を対象にする非歴史的な方法(共時言語学)を導入しそれを優先させたこと

③言語とは何かを考える上で、人間に特有の言語能力(シンボル化能力)を「ランガージュ」、それぞれの共同体で使われている国語体を「ラング」、それぞれの話者が発話するときの音声の連続を「パロール」と呼んで、三つのレベルを区分したこと

④言語を単一の構築物としてではなく、相互に関係した要素から構成される価値の体系と考えたこと

実体概念から関係概念へのパラダイム・シフト
 このうち最も重要なのがだとし、「言語を一つのまとまりをもつ実体としてではなく、いくつもの要素が働きかけ合うシステムとして捉える視点が認められる。このように対象となるもの(例えば言語)を捉えるにあたって、実体の概念から関係の概念へと視点を移し換えること、それはまた現代思想と呼ばれる思考の方法の特徴の一つである」と、「実体」から「関係」へのいわば「パラダイム・シフト」だというのです。

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 「コトバはモノの名前である」と考える「言語名称目録観」とは、上の「1」のように、絵の表現する表象をそれぞれ「木」(arbor)「馬」(equos)と一対一にて対応している、と考えるものですが、ソシュールはそうではないと考え、「シーニュ(記号)」=表象という場合の「シーニュ(記号)が結びつけているのは、概念と音響イメージである」と主張しました。

 この「概念」と「音響イメージ」のことを、ソシュールはそれぞれ「シニフィエ」(意味されるもの)と「シニフィアン」(意味するもの)と呼び、コトバと呼ばれるものは、これらから構成される複合的な単位のことで、この複合的単位のことを「シーニュ」(記号)であるとしました(2)。

 ソシュールのいう「シニフィアン」、つまり「音響イメージ」とは、「物質的な音、つまり純粋に物理的なものではなく、音の心的な刻印、つまり私たちの感覚に訴えかけてくる音の印象」で、「私たちは、唇や舌を動かさないでも、自分自身に話しかけたり、ある詩を頭の中で朗読したりできる」とソシュールは解説しています。

 私たちが「イヌ」と言うときの「イ」と「ヌ」の音のつながりを声に出さないで、頭の中で唱えた時に浮かぶのが「音響イメージ」で、このイメージが連想されると同時に、「イヌ」という概念が、例えば「イエ」でも「イカ」でも「イス」でも、「イケ」でも「イモ」でもない別のものとして区分されながら立ち現れてくるのだというわけです。そして「イヌ」の音響イメージが「シニフィアン」であり、それによって区分される「イヌ」の概念が「シニフィエ」、そしてこの二つの要素から構成される複合的な単位が「シーニュ」ということになります。

「思想新聞」2024年4月15日号より

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