アングル~情報戦に勝て。156
対岸の火事ではない?

 残念ながら、人は「ために生きる」世界とは程遠く、大抵の事柄に対して「他人事(ひとごと)」あるいは「余所事(よそごと)」でやり過ごす。いかなる重大事であっても「無関心」を装うことに罪悪感は薄い。

 日本社会において、日本人の無関心、対岸の火事の一つが「宗教」であり、「宗教問題」に対してである。
 家庭連合に対する世論形成もまた、マスコミによって流布された情報によるところの影響が大で、その背後には反対勢力によるプロパガンダが間違いなく存在するのであって、事実を論じ、真実を追求する動機によってつくられたものではない。

 今回紹介するのは、世界日報(202556日付)掲載のインタビューfocus欄「家庭連合の解散命令『歴史の汚点』東京西バプテスト教会 黒瀬 博牧師に聞く」の見出し記事。

 批判的であれ、なかれ、家庭連合への解散命令問題を論じる有識者が増えることは、正しい世論を形成する上で必須の条件であろう。

 黒瀬博牧師はインタビューの中で、家庭連合への解散命令に対して以下のように断言している。

 「日本国憲法、国際法、宗教法人法のいずれに照らしても不当な決定だが、それがまかり通ることは、今後の歴史の中で日本裁判史上の汚点として記録されることになるだろう。それと共に、解散命令を強引に出させた弁護士たちも歴史の審判を受けることを覚悟しなければならない。彼らがやっていることは、中世の異端審問官と同じだ」

 全くもってそのとおりである。

 黒瀬牧師の「宗教の自由」か「信教の自由」かという指摘もまた、解散命令の論点を見誤らないようにするための重要な視点であろう。

 さらに、家庭連合以外の宗教団体だけでなく、「日本共産党でさえもこの解散命令を絶賛しているわけではなく、むしろ恐れている。しんぶん赤旗には、家庭連合への非難がたびたび載せられているが、解散命令については微妙な言い方をしている。解散命令の論理を使うと、それがそのまま日本共産党の解散命令に直結することを彼ら自身がよく分かっているからだ」という黒瀬牧師の洞察は、誰にとっても「解散命令」問題は対岸の火事ではないことを如実に物語っている。

 日本に限ったことではないが、家庭連合への解散命令問題は、「宗教の自由」を懸けた人類における霊性および理性による聖戦なのである。

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(則)