2025.05.07 22:00
内村鑑三と咸錫憲 22
文鮮明総裁から見た内村鑑三と咸錫憲
魚谷 俊輔
韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。
前回までは、内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながら、それが最終的に統一原理の再臨論における韓民族の使命に関する教説にかなり近いものとなったことを解説してきた。
今回からその続きとして、文鮮明総裁が内村鑑三、五山学校、咸錫憲をどのように評価していたのかを探求し、さらに咸錫憲の思想が文総裁の思想と共通する点を探ることにする。
文総裁は、内村鑑三や無教会運動について、2004年7月28日に漢南国際研修院で以下のように語っておられる。
「そう、既成教会にも伝統ではなくて何というか、咸錫憲がいたでしょう?(『はい』)。彼と同様に、無宗教主義者の人たちがそこに皆集まっています。日本の無教会主義者の誰、突然名前が出てきませんね。(『内村鑑三』)。そう、内村鑑三。その人は無教会主義者です。
その人は再臨主が神戸(地上)に来ると宣言し、みんなそうしたのですが、そんな霊感を受けて、既成教会ではいけないといって、教会はなくなるべきだと言いました。それが無教会主義です」(文鮮明先生マルスム選集462巻、191ページ)
また、2005年2月21日に漢南国際研修院で以下のように語っておられる。
「一般の宗教ではいけないので、創価学会ではなく、儒教とか宗教と合わさったような思想を主張する、その名前が突然出てきませんね。内村鑑三の無教会主義の一派です。このようにして、その教祖(内村鑑三)が述べた本を中心にして、キリストが再臨しなければならないという思想を持ったのです。
内村鑑三という人は、神戸に再臨主が来ると言って準備していた人たちです。神戸は何ですか?(「神の戸です」)。神の戸、神様の門戸です。出入りできる門戸! だから、主が来なかったから、内村鑑三は無教会主義、咸錫憲先生も無教会主義です。咸錫憲は統一教会をあれだけ反対したでしょう。人として来るものが何なのかということです。これでは全部むなしいと考えるのです」(文鮮明先生マルスム選集488巻、137~138ページ)
文鮮明総裁は内村鑑三をどのように知ったのであろうか。それは内村の著作を直接お読みになったというより、小山田秀生先生から話をお聞きになったのではないかと思われる。
私はかつて小山田先生から直接、「自分は日本の代表的なクリスチャンとして、内村鑑三と賀川豊彦をお父様(文鮮明総裁)に紹介してきた」という話を聞いたことがある。
そこから文総裁は内村鑑三を、再臨運動を熱心に行った日本のクリスチャンとして記憶したと思われる。
その運動が「無教会主義」キリスト教と呼ばれ、その流れの中に咸錫憲がいたことも理解していたのである。
それは、再臨主を迎えるために準備されたキリスト教運動であったと認識されたのではないだろうか。
しかしながら、文総裁のみ言集によれば、咸錫憲は統一教会に反対したようである。
残念ながら、咸錫憲が文総裁と良き出会いをしたとか、文総裁を受け入れたという記録は存在しない。