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ほぼ5分で読める統一運動 49
南北統一は神の重要な摂理

稲森 一郎

 1985年からの7年路程は、「世界的荒野40年路程」(19451985)を終えた文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫妻の統一運動にとって、極めて重要な7年間であったと言わなければなりません。文師を中心とする再臨摂理とキリスト教の一体化は、文師のダンベリー刑務所への収監を機に、アメリカのキリスト教が文師擁護の運動へ立ち上がったことで急速度に道が開かれ、再臨摂理(統一運動)とキリスト教聖職者たちの距離は一気に縮まっていきました。

 再臨摂理(統一運動)と国連の関係もまた、文師ご夫妻が創設されたWFWP(世界平和女性連合)の世界的活動を国連が評価し、WFWPを主要な国連NGOに加えるなど、平和理想世界の実現へ向けて協調体制を取るようになりました。

 国際共産主義の解放と終焉(しゅうえん)は、文師ご夫妻の再臨摂理(統一運動)にとって、最も重要な問題です。その理由は、韓半島(朝鮮半島)の北半分が共産主義体制を取っており、背後に中国とソ連を抱えているという極めて難しい状況に韓半島が置かれているという現実があったにもかかわらず、南北統一は神の重要な摂理であったからです。

 19831214日から1223日にかけて、韓国8カ都市で「全国勝共決起大会」が開催されました。1985813日には、スイス・ジュネーブでの第2回「世界平和教授アカデミー(PWPA)国際会議」において「共産主義の終焉」宣言が行われました。1986515日には「南北統一全国学生総連合」が創設され、同年の1011日には「全国大学教授学生南北統一運動連合」(教学統連)が創設されます。さらに1987515日には、「南北統一運動国民連合」(国民連合)が創設されます。

 これらの動きは、南北統一が喫緊の課題として眼前に迫っていたことを表しています。そして国際情勢の中では、ベルリンの壁の崩壊(1989119日)、東欧諸国の民主化(ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニアなど)、そして、ついにはソ連の解体(199112月)と進み、共産圏は中国、北朝鮮を除き、完全に崩壊しました。これに焦ったのは、誰よりも北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席であったはずです。このような時代背景は、90年代において南北統一が実現される可能性を示唆するものでした。

 実際、文師は時が来たことを感じ、行動に移されました。それが文鮮明・韓鶴子ご夫妻の北朝鮮訪問です。北朝鮮の金日成主席は1991年当時、核開発疑惑からアメリカに核施設先制攻撃論が台頭し、実際に米ブッシュ政権が戦争を覚悟した時期がありました。アメリカが先制攻撃に踏み切れば、第2次朝鮮戦争へと事態がエスカレートするのは明らかです。

 そうした中で、戦争阻止のため電撃的に北朝鮮を訪問し、金主席から「道理にかなった国際核査察を受け入れる」「招待があれば訪米の用意も」などの言葉を引き出したのが、統一運動の主導者である文鮮明師でした。

 文鮮明師と金日成主席の会談は驚きをもって世界に伝えられました。国際的な反共・勝共運動の闘士として知られた文師は、それまで北朝鮮共産政権を厳しく批判していた態度から一転し、金日成主席との会談を実現させました。文師が万寿台議事堂(国会議事堂)で党幹部を前に、彼らが神聖視する「主体思想」を堂々と批判する様子などを、特別補佐官である朴普熙(パク・ポーヒ)氏が『証言』の中で詳細に語っています。