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ほぼ5分で読める統一運動 48
神の人類救済の摂理的要請から生まれた統一運動

稲森 一郎

 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫妻の統一運動は、お二人のご出生と人生行路からも分かるとおり、神の人類救済の摂理的要請から生まれたものです。その概要を簡潔に述べるならば、1945年、第2次世界大戦の終結時点が、すなわち、人類救済を目的とする再臨摂理の本格的な出発点になっていたということです。

 文師は「世界的荒野40年路程」(19451985)という期間、つまり戦後の40年間を荒野路程という言葉で語っておられます。

 「統一教会は、荒野四十年時代にいるということを知らなければなりません。幕屋教会時代にいるということを知らなければなりません。これから世界的カナンの福地に入っていかなければなりません」(『真の御父母様の生涯路程⑦』、198ページ)という言葉のとおりの歩みをなし、「蕩減(とうげん)条件を怨讐(おんしゅう)が認める基準において立て、国境を越え、主義、思想を越えて、四十年以降に定着できるカナン福地の基準を世界に広げることによって、私たちの国の創建が始まるのです」(同上、198ページ)というプロセスになるというのです。

 なぜそうなるのかと言えば、1945年から文鮮明師を中心とする再臨摂理が7年路程(19451952)として準備されていたにもかかわらず、その路程が崩れたので、「世界的荒野40年路程」が蕩減路程として必要になったというわけです。

 再臨摂理の7年路程の中で、重要な問題は、①キリスト教が再臨摂理と完全一体化すること(文鮮明師を中心とする再臨摂理の中に世界のキリスト教が加わり、神のみ旨を成就すること)、②再臨主とキリスト教の一体化を基盤とする世界平和実現運動が国際連合のテーマとなり、国連を中心に平和理想世界の実現(地上天国実現)が達成されること、①②の課題が解決される中で、③ソ連を中心とする国際共産主義の民主主義陣営への挑戦を退け、最終的に共産主義国家を解体し解放すること、以上の三つが戦後の7年路程の中で達成されるべき三大目標でした。

 7年路程がうまくいかなかったことにより、三大目標の達成は未完成のままに終わりました。すなわち、①キリスト教と再臨摂理(文鮮明・韓鶴子ご夫妻の統一運動)の一体化、②国連と再臨摂理(統一運動)の一体化、③共産主義国家群の解体と終焉(しゅうえん)、この三つが世界的荒野路程の中に残されたままとなり、この三つのテーマの実現のために文師ご夫妻は血と汗と涙の生涯を過ごされたわけです。

 そのように見ると、1985年はちょうど、1945年の「振り出し」に戻った形になったと言えます。戦後の7年路程を「世界的荒野40年路程」で蕩減し、とりわけ、蕩減の総仕上げとする「1983年、1984年、1985年」の3年間の大受難を文師は越えられました。
 従って、三つの課題(再臨摂理とキリスト教、再臨摂理と国連、再臨摂理と共産主義)の解決が、急ピッチで本格的に解決されるべき状態になったというのが、1985年時点の文師ご夫妻の統一運動の姿であったと言えます。

 ダンベリー刑務所から出監された文師は、1985年から1992年までの7年路程に格別の思いを持って臨んでおられました。それはキリスト教との一体化であり、国連との一体化であり、国際共産主義問題の解決であったということです。