2025.04.24 22:00
「メディア」を考える 2
『グラフ新天地』2003年6月号に掲載された特集記事を、編集部が再編集してお届けします。
家庭崩壊につながる不倫、離婚の美化
制作者に問われる道徳性と責任感
なぜテレビ局を含むメディアは、「良心」を見失いつつあるのでしょうか。
本来メディアは真実を伝え、「社会の木鐸(ぼくたく)」として、健全な社会づくりに貢献すべき使命を持っています。そのためにメディアを担当する者が、高い道徳基準を持たなければなりません。第四権力として、世論を動かすほどの力を持つメディアが道徳性を失えば、健全な社会秩序は崩れていきます。
ドラマでも1960年代、70年代は、三世代家庭を中心に家族の絆などが描かれるものが多く、視聴者の心を和ませ、人気を博していました。ところが1980年代になると、「金曜日の妻たちへ」(83年)のようなドラマが登場し、これらのドラマによって不倫などがもてはやされるようになりました。それを象徴するように、85年から離婚件数が15万台に上昇しています。
1995年には「不倫の代名詞」といわれるほど話題を呼んだ「失楽園」が新聞小説として登場しました。メディアはこぞってこれを取り上げ、後に映画、単行本が大ヒットとなりました。このブーム以降、熟年離婚が急増しています。
過激な性情報が簡単に入手できるインターネット
テレビだけでなく、より過激な性の情報はインターネットを通じて簡単に入手できるようになりました。個人的に調べる情報であり、テレビよりも閉鎖的なので、未成年に対しては特に気を付けなければなりません。
警察庁が2002年に発表した「青少年と生活環境等に関する調査研究報告書」によると、「性的メディア」に接した高校生で、「セックスをしてお金をもらう」のは「本人の自由」と答えた者が男子は53.5%、女子は61%です。一方接していない男子は43%、女子は43.4%でした。この結果、「性的メディア」が青少年の問題行動に結び付いていることが分析されています。
また、規制対象となった出会い系サイトは、犯罪の温床になりました。さらにネットを通して知り合った者同士が自殺するという事件が起きています。このように、メディアから流れる情報、価値観は、個人の人格の破壊、家庭の崩壊を招く恐れがあります。
メディアに対する文鮮明先生のメッセージ
社会を善導するメディアに
●「社会の良心」として不義と闘う
民主主義は、自由な報道なくしては機能し得ません。そして自由な報道は、道徳的責任を伴って行使されなければ、真に自由たり得ないのです。私は、自由な報道とは道徳的な報道であると確信いたします。
メディアに携わる人々は、そのことに非常な誇りを抱いています。これが、ジャーナリストは私たちの社会において特別な地位を得ていると、言い得る理由です。ジャーナリストは、自由の守護者であり、不正と戦う闘士なのです。
道徳言論においてメディアは、腐敗と人種差別主義に反対しなければならないし、不当に迫害されている人々を擁護しなければなりません。薬物の乱用やポルノ、社会のあらゆる破壊的な非行に対抗し、憤然と立ち上がって闘いを導いていかなければなりません。すなわち、メディアは、社会の良心とならなければなりません。
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次回は、「『自由』を守る言論に」をお届けします。