「メディア」を考える 1

 『グラフ新天地』2003年6月号に掲載された特集記事を、編集部が再編集してお届けします。

情報のデジタル高速化の一方で質的低下が問題に

 21世紀の今日、情報のデジタル化、インターネットの普及など通信技術の急速な発展に伴い、テレビやラジオ、新聞、雑誌などのメディア(マスコミ=大衆伝達媒体)の役割がますます重要になっています。

 重要なニュースが瞬時に国境を超えて、全世界的に伝達されています。まさに、地球全体が同時に一つの情報を共有する共同体時代を迎えているのです。

 ところが、外的な通信技術の飛躍的発展によってメディアの力が絶大になる一方、無秩序な情報の氾濫、メディアの商業主義化、メディアに携わる人間のモラル(道徳性)の低下などの質的問題が指摘されています。

 メディアは本来、「社会の良心」として、人々を正しい方向に導くための大きな潜在能力を持っている半面、不道徳な情報、偏った報道によって、社会の腐敗や混乱を促進させる道具にもなりかねません。

 今、問われているメディアの質的課題と、メディアが果たすべき本来的な役割とは何かについて考えます。

商業主義で低俗化する内容も
視聴率のため倫理・道徳性を軽んじるテレビ局

視聴時間に比例して高まる子供の暴力化

 「どんなにいい番組を作っても、視聴率が上がらない限り、どんどん打ち切られてしまう」(『テレビは魔物か』1977年、潮出版)。民放テレビ局では、収入のほとんどをスポンサーの広告料に依存しています。視聴率1%が約100万人(2024年時点では約116万人)といわれている日本で、どのくらいの視聴率を上げるかがテレビ局の死活問題となります。

 そのために一部の番組には、ただ低俗な笑いを誘うものや、事故などショッキングなシーンを繰り返すもの、暴力や殺人シーン、スキャンダル、性的刺激を誘発するものがあります。内容が刹那的であったり、いたずらに不安感をあおったり、過激とも思えるほどに刺激的な表現が用いられるものも見られます。これらに象徴される番組作りの背景には、常に視聴率アップを追い求めるテレビ局の内情が伺えます。

 「子供が10代の半ばでテレビを見過ぎると、後に暴力行為や攻撃的行動をする可能性が高い」という研究結果が、20033月の米科学誌『サイエンス』に掲載されました。コロンビア大学とニューヨーク州精神医学研究所の25年間に及ぶ追跡調査から結論が出されたもので、「14歳のころに3時間以上テレビを見ていた場合、16歳から22歳までに暴力行為を起こす確率は28.8%で、テレビを視聴している時間が長いほど暴力行為を起こす確率が高くなる」と警告しています。

 そのため家庭では、視聴時間を制限する努力が必要です。その上、暴力、みだらな性行為などのシーンは、青少年の健全な心の育成の妨げになっていきます。

 また不況が続く中で増えているのが消費者金融(通称・サラ金)のCM(コマーシャル)です。その中には、主に若者を対象にして気軽にお金を借りられることをアピールしているものがあり、「自分の欲望を満たし、好きなように生きればいい」というような、刹那的で安易な人生観を誘発する危険性があります。

 このように現在の民放テレビ局の多くは、局自身の生き残りをかけ、視聴率競争を中心とした番組制作をしているために、倫理性、道徳性が軽視されていく傾向があります。出版業界でも同様に、売り上げを伸ばすためには、不健全な内容を売り物にして出版するものも見られ、その広告が子供たちの目につくような電車内や新聞にも出されています。

メディアに対する文鮮明先生のメッセージ
社会を善導するメディアに

●創造も破壊もできるメディアの力
 メディアの力というものは、愛の力に似ているといえます。それは、最大の力です。恐ろしいほどに良く使うこともでき、恐ろしいほどの破壊をもたらすこともできます。

 もし正しく使うことができれば、そこには、理解と調和と美と幸福がもたらされるでしょう。もし誤って使用されれば、大きな混乱と人間の悲しみをもたらします。この偉大な力は、知恵と共に使わなければなりません。

 自由でかつ先端技術を基礎とした諸般の環境は、今日の言論をして世論形成にこの上なく大きな影響を及ぼすものです。

 政治的面では、ある政府を高く尊敬される立場に立てたりもし、また没落の道を行かせもします。また、社会が高い道徳的基準をもつように先導することもできれば、その社会を混沌の渦中に陥れたりもします。

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 次回は、「家庭崩壊につながる不倫、離婚の美化」をお届けします。