facts_3分で社会を読み解く 64
「不当寄附勧誘防止法」の問題点(8)

信仰に基づいて行った宗教行為を否定することに

ナビゲーター:魚谷 俊輔

 「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律(不当寄附勧誘防止法)」は施行後2年が経過し、改正の時期を迎えている。この法律の問題点を指摘するシリーズの第8回である。

 同法の具体的な条文の不備の続きである。

 同法はマスコミなどが「旧統一教会被害者救済法」という通称で呼んでいたことからも分かるように、家庭連合に対する高額な献金によって被害を受けたと主張する信者やその家族の救済を主眼として、緊急に制定されたという経緯がある。

 それを背景として読めば、この法律でいう「寄附」とは「宗教団体への献金」を意味しようとしたものと思われ、転じて「すべての法人等への寄附」に敷衍(ふえん)されたものであると考えられる。これは結果的に宗教活動に対する制約となる。

 しばしば「献金」は「寄附」や「贈与」と同じものと思われがちであるが、根本的に異なる。そもそも献金は、俗世間における財貨の移動という経済行為と同一のものではないし、類似のものでもない。

 宗教における献金は、信者、氏子、檀信徒、参拝者などが、信仰に基づいて神仏に奉献する「宗教行為」である。

 キリスト教会においては、毎週の主日礼拝やその他の礼拝には「献金」が礼拝行為の一項目として組み込まれており、重要な宗教行為の一つとなっている。

 「賽(さい)銭」も、神への感謝であると同時に、賽銭を投じることによって、自身の罪をはらう「お祓(はら)い」という宗教行為でもある。したがって、「賽銭」は単なる財貨として一般職員が扱うことのできるものではなく、神にささげられた信者の魂がこもったものとして「神職」が扱うものとされている。

 宗教行為としての献金においては、宗教団体やその神職、僧侶、牧師などは、信者が神仏に奏上する献金を仲介または補佐する立場なのであり、受領する立場ではない。

 宗教団体における献金は、すべて宗教行為であって、俗的な財貨の移動(経済活動)ではないので、世俗の寄附や贈与と同列に扱うのは不適切なのである。

 しかし、宗教に対する正しい理解が欠如し、宗教を否定する唯物論的な価値観がまん延している現代の日本においては、こうしたことが理解され難い。

 その結果、無宗教的・反宗教的な立場から、神仏を捨象する形で、「宗教団体における献金」を「宗教団体に対する寄附」であると主張することが危惧される。

 そのことは、信者本人が宗教的信仰に基づいて行った宗教行為を否定することになり、宗教団体および信者の信教の自由を侵害することになる。

 結果的にこの法律は、「信教の自由に十分配慮しなければならない」旨を規定しながら、宗教行為を侮辱するものになっているのである。


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