facts_3分で社会を読み解く 61
未曽有の危機をどう受け止めるか?

ナビゲーター:魚谷 俊輔

 3月25日、世界平和統一家庭連合(家庭連合)に対して、東京地裁は宗教法人法に基づき解散を命じる決定を出した。
 それに対する法的な分析や批判は既に福本修也弁護士が記者会見で行っているし、中山達樹弁護士も自身のブログで発信している。
 素人の私がそれを繰り返しても意味がないので、解散命令という危機を宗教的にどのように受け止めるかについて考察したい。

 これに匹敵するような出来事を聖書の中に見いだそうとすると、バビロニアの侵攻によってB.C.586年にエルサレムが陥落し、神殿が破壊された事件が思い起こされる。

 これ以降、ユダヤ人たちは「バビロン捕囚」という試練の道を歩むことになる。
 旧約聖書のエレミヤ書の後に収められている「哀歌」は、バビロン捕囚を経験した何者かが、エルサレムの陥落と神殿の破壊を嘆いた歌であるとされている。

 そこから何かヒントを得られないかと思ってかなり久しぶりに「哀歌」を読んでみたが、いまひとつピンとこなかった。

 その理由の一つ目は、まだ家庭連合が滅びると決まったわけではなく、これから高裁での審理に向けて戦おうという時に、哀歌を読んでもそうした決意と希望を感じることはできなかったからである。

 二つ目の理由は、エルサレムの陥落とユダヤ王国の滅亡は、民族の罪に対する神の裁きであるという捉え方である。

 それを今の事態に当てはめると、日本政府が神に代わって家庭連合の罪を罰したことになる。そうとは思えない。

 やはり今回の事態に一番近いのは、真のお父様(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉総裁)のダンベリー収監であろう。この事件も冤罪(えんざい)であり、アメリカ政府による宗教迫害であった。

 お父様がダンベリーに収監されていた頃、私はまだ大学生で19~20歳、信仰歴は1年程度であった。
 ダンベリーのお父様のことを思いながら、原理研究会で歩んではいたものの、その深刻さはほとんど分かっていなかったと思う。

 裁判の勝利を信じて祈ってきたアメリカの食口(シック/家庭連合の教会員)たちにとって、メシヤが有罪判決を受けて刑務所に入るという事態は、どれほどのショックだったであろうか。それは宗教法人の解散以上に絶望的な出来事であっただろう。

 しかしその時、アメリカの食口たちは信教の自由を守る運動に立ち上がり、キリスト教の牧師たちを訪ねていって彼らに訴えたのである。そうしてお父様の収監というマイナスの出来事を、プラスに変えていったのである。

 今私たちのなすべきことは、信教の自由の危機を訴え、共に立ち上がる宗教指導者たちを一人でも多く見つけることである。

 鉄は火で焼かれ、何度も叩かれることによって強くなる。この試練を通して私たちの信仰は精錬されていくのである。

【関連情報】
世界平和統一家庭連合公式ウェブサイト
・「東京地裁決定に対する当法人の受け止めと見解について(改訂版)(2025年3月25日付)

・「3月25日の法人会長会見文を掲載しました」(2025年3月27日付)


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