愛の知恵袋 38
すべてを受け入れ、惚れ込む

(APTF『真の家庭』148号[2月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

愛とはすべてを受け入れること

 愛について、私が大ショックを受け、猛反省したのは25年前のことです。

 その頃、阪神・淡路大震災前で西宮市に住んでいました。わが家の3軒隣に若い30代前半の奥さんが住んでいました。並んだ塀の内側はそれぞれ植木が成長し、秋になると落ち葉が道路に飛び交い、毎朝誰かが掃除していました。3軒隣の若いかわいい奥さんも時々私と一緒になると、「林さんの奥様、おはようございます」「あら、寒くなりましたね」と私。「ウチの人、今日からコート着て出勤ですの」とニッコリ。

 これが毎度、お会いする度に「ウチの人、今日は私のプレゼントのベルトをしめて出勤ですの」。一言目は挨拶、二言目はご主人の報告。私には、彼女のご主人が上着を脱ごうが着ようがどっちでもいい。でもこんなかわいい奥さんが、こうまで話しているご主人って、どんなすてきな人だろう、とその度に思っていました。

 ある朝、彼女に誘われました。

 「林さんの奥様、私『生長の家』に通っていますの。月に一度経験談を発表するんですけど、今晩ははじめてウチの人の番なんです。是非いらしてください」

 「今晩9時から? 喜んで参加させていただくわ」

 ”ウチの人”に会えると私も期待して出席しました。二人の男性の話が15分ずつ位あり、20人位の男女が座っていました。最後が”ウチの人”でした。

 はじめの10分間で私はイライラしてきました。どこで誰が何をしたか、さっぱり分からない。私は小学校の教師。生徒がそんな話し方をしたら、すぐ注意するところです。周囲をそっと見るとみんないい方ばかり。目をつぶって柱にもたれておられました。私もその姿勢になり、奥さんを見ると、彼女はご主人の前で目を輝かせて、一言一言うなずいて聴いていました。

 あっ、これはすぐには終わらない、と私も居眠り体勢。50分過ぎて、「短いですがこれで終わります」。皆ザワザワと座り直し、お二人は私の横の席に戻ってこられました。驚いたのは奥さんの言葉です。

 「お父さん、今晩のお話、とってもすばらしかったわ」

 「うん」とご主人の笑顔——それを見た時、私は体がふるえました。なんというエライ奥さんだろう。私だったら、主人がこんな話をしたら、夫婦ではない顔をして、サッサと先に帰ったろうに——。

 夫婦とは夫が才能があるから、仕事ができるから尊敬するんじゃない。夫そのものをすべて愛する、それが妻なんだ! 私はなんて悪い妻だったろう。かわいげもなく、口には出さなくても、主人の採点をしていた自分だった、とぞっとしました。

 その日から私は変わりました。主人の行動を全部受け入れようと。それが結局は二人の子供たちにもいい影響を与えました。

愛とは惚れ込むこと

 私も教育者のはしくれ、今日までに何年もかかって、愛とは何か、孔子の「仁」から、プラトン、釈迦、結局はキリストの「神の愛」「汝の敵を愛せよ」に辿りつきましたが、愛の表現語として、日本語の「惚れ込む」があったことに気付きました。

 作家・三浦綾子さんが、「私は夫、光世さんに惚れ込みました!」と講演会で言われました。

 彼女が結核で北海道の病院にいた時、クリスチャン青年の三浦氏が慰問に。何回目かに「治ったら結婚したい」と言われ、「治らなかったら?」「それなら誰とも結婚しない」。その言葉に彼女は感激。幸い新薬も開発されて退院。

 「光世さんに惚れ込みました。光世さんが触れたものはすべて懐かしい。水を飲んだ後のグラスも。ある日外出先から帰宅すると、光世さんのスリッパが片方ひっくり返っていました。光世さんの足がこれを…と思ったら、その片方のスリッパに頬ずりしました」

 夫婦は欠陥をさがし合ってはいけない。「愛(ラブ)」という言葉は世界共通ですが、「惚れ込む」は日本語にしかない。真の家庭は惚れ込む夫婦からはじまると思いますよ。